さて、今回の件は、ブログ版からの続きとなる。 (10年12月5日の日記「長ったらしい日記(今日の出来事と考え事)」参照。) (10年12月29日の日記「うさぎ(bar NOISE、あっけらかん)」参照。) このテーマは長く、考えてきたことの一つなのだが、あまりにも色々ありすぎて、考えも拡がりすぎていた。しかし、物事を単純化して考えることで、もっと自分の意見をまとめることができるのではないかと思う。(そう言いながら、結構な長さになっているので、これから読んでくださる方はちょっと今のうちにトイレに行っておいてね。笑) 仏太はブログでなるべく悪いことは書かないようにしようと思っている。 かなり前に札幌にいたときに、ラジオに出て、その時に正直な感想を述べたところ、多くの反響(悪い方)をいただいた。 当時はまだブログをやってなくて、 (そういうもの自体存在してなかった。) サイト(仏太のカレー修行)で仏太を知る人が結構いたのと、 テーマを「カレー」に絞った番組で、 仏太が気になる修行場のことを悪く言う形をとってしまったのだ。 しかもそれは叱咤激励ではなく 明らかに悪口ととらえられてもしょうがない内容だった。 言ったことは間違った内容ではないと思っているが、 言い方に問題があったことは認めたし反省した。 それ以来、発言には気をつけるようにしている。 それと、悪く言うことはよくないというのは、しっかりと気付いたと思っている。 自分の印象が悪くてもそれは万人の感想ではないから、 言い方を気をつけなければならない。 褒める場合は嫌みにならない限りは手放しで褒めていいと思うけど。 もし、ブログ内に批判的だったり、よくない表現があった場合は その修行場(お店)に対して、改善を期待していたり、 とにかく好意を持って発言しているのだ。 しかし、それでもやはりダメ(どう考えても好意的に書けない)という場合は ブログやサイトに載せなければいい、というスタイルにした。 すなわち、時々言われる「仏太は悪く言わないよね。」とか 「どこも同じように褒めているから、どこに行っていいかわからない。」と いう意見が出てくることになるのだと思う。 もっともその修行場のためを思ってなら、直接話すべきだと思っているので、話ができるときはできるだけするよう心掛けている。 十勝のグルメブロガーも何人もいるが、その中で最も大きく影響力がある(あった)人の一人が端野萬造さんだろう。 彼が管理していたブログ端萬記は現在、記事が削除されて見ることができないが、その内容たるや他の追随を許さないほどだと認識している。 その萬造さんは、主張を持って、良い悪いを述べられていたと思う。 勿論、それぞれのブロガーが、個性を持って発言をしているのは当たり前のことだろう。 前にも書いたことがあるのだが、欧米では政治関係のブロガーが 政策に影響を及ぼすことは少なくないらしい。 それはすなわちブロガーの視点は一目置かれているということだし、 それだけかなり専門化された記事を挙げることができるという証拠だ。 萬造さんは、それに匹敵する数少ないブロガーだと思う。 有名人と違い、多くのブロガーはハンドルネームを使う。 自分の興味、趣味を対象として、特定のテーマに沿って 論点を展開するブロガーはえてして、自分の本来の仕事、 生計を立てている仕事(仏太の言う第2職業)とは違っていることが多い。 勿論、自分の仕事に関係したブログ(サイト)を立ち上げ、 それによって仕事をよりよい環境で展開している人達も多くいる。 芸能人などは、名前や顔を知ってもらってなんぼだから、ブログを見てもらうことが売れる方法の一つと考えているだろう。(それはプロダクションなどの意向がほとんどだと思われる。) 仕事上の名前(ほとんどは本名)で活動するのが有利だから、 そういう人達はハンドルネームを使わず、そのまま本名(あるいは仕事上の名前)を使う。 本名を使う人達とは別に、ハンドルネームを使う人達は、 ブロガーとしての自分の存在を、実際の仕事とは分けて考えている。 例えば、仏太の本名が華麗好夫だとしたら、 第2職業をしている好夫と、第1食行の仏太は、同一人物でありながら、別物(者)なのだ。 それを一緒くたにする人達がいるので、話がこんがらがる。 (この考え方も山茶花さんと同じで吃驚した。) ネット上の暗黙のルールはあると思うが、それは個人個人で感じ方が違い、その拡がり方の爆発性に比べて、法整備が遅々として全く追いついていないのが現状だと思われる。だから、ネットなどを介した犯罪が後を絶たないのだろう。ネットに限らず、人間はやはり良心を持ち、自分だけでなく相手や第三者のことも含めて考えた上で、行動・発言をするべきだ。それは誰しもが思うところだろうが、その考えが合わなかったり優先順位が違っていたり、人の行動・発言の真意をくみ取れなかったり、色々な場合で食い違いが起こると問題が出てくるのだと思う。それは最終的には話し合い(直接でもメールでも電話でも)が必要になることではないかと思う。 さて、今回話題にすることの一つは11月あたりに起こっていたらしい。後から聞いたので伝聞系になるのだが。話題となった地域限定SNSについては仏太は大きく意見するつもりは今のところない。それはそこを利用してない(登録してないということ)からなのだが、実際に素敵なブログもあるので、覗いてはいる。ただ、コメント欄は登録してないと見れないし書き込めないという状態になってしまっている。それは今ひとつよろしくないかと思う。まあ、そのSNSに対して現在言いたいことはそのくらいだ。もっともそれらに関してはユーザー(登録者)の中で不満のある方々が「戦っておられる」ようなので、それに参戦するつもりは今のところない。 仏太が問題にしたいのは、そういうシステム的な問題もさることながら、ネット(特にブログ・サイト)に関して考え方が著しく違うと思われる人がいるということだ。今回はブログ(サイト)に限定するが、その管理人が書く内容が、肯定的なこともあれば、否定的なこともあるのは当たり前だと思う。勿論、肯定でも否定でもないこともあるだろう。単に日記としてつけている人もいるし、メモとして書いている人もいるだろう。その使い方に決まりきった「ルール」は存在しないと言っても過言ではない。ただ、サーバーの方のルールは当然あるし、最近になって法的な規制も出てきているから、それに従うべきところはある。新聞やテレビでも論評・論説はあり、それは肯定的なこともあれば否定的なこともある。それはブログでも変わらないと思う。むしろ、数としてはもうブログはどのくらいあるか見当もつかないくらいにあるのだから、ブログでの発言はまさに千差万別だろう。だから、ある人(人達、団体)があるブログで否定的なことを書かれることがあっても当たり前だと思う。勿論、素晴らしいということや賛同することがあるのも当たり前だと思う。 人間誰しも褒められれば嬉しいし、否定的な見解を示されるとかまえてしまうものだ。成長するためには、褒められることも必要だが、指摘されることも必要だと思う。批判も時には必要ということだ。批判を非難だとか誹謗だという風にとらえてしまうと、前に進めなくなるのではないかと思う。企業コンサルタントみたいな人達は一様にクレームは会社発展のためのいい要素であるというようなことを言っている。クレームを単なる文句として受け止めるのではなく、それに対して前向きな話し合いをしたり、発展的な解決策を見いだすことで、更に素晴らしくなれるのではないだろうか。仏太も人に何か言われるとムッとするが、その後考え直して、それを真摯に受け止めて、今後に活かすようにしている。まだまだ未熟ではあるが。 そして、クレーム(とここでは統一しておく。)があったときに、それをどう対処していくか、どう前向きに進めていくか、というところは技量も出てくるだろう。よくわからなければ、クレームをくれた人に聞いてみるとか、議論をしてみるとか、わかっているなら、仲間で話し合いをしていくとか、色々あるのではないかと思う。 しかし、それが全然できない人達も実際にいるのだ。抽象的になってきて、わかりにくいな。ブログである取り組みが批判された。それに対する対応や如何に。ブロガーは一個人として意見を発していることがほとんどなので、その意見を取り入れる(聞き入れる)のもよし、無視するのもよし。しかし、それに対して攻撃をするのはどうかと思う。話し合おうともせず。 何故本人ともっと話し合うことをせず、 ブログとは関係のない第2職業的なところへ話をもっていくのか? そういう姑息な手で超重要ブロガーの一人は殺された。 しかし、イエスキリストが生き返ったように、その人も生き返るのだ。 きっとその機会は近いうちに現れる。 みんなに愛されたブログは消滅してしまったが、 今回のようなやり方では、その根底は崩れてないから。 自らのブログに批判が集まると、コメント欄を閉鎖し、 周りからの意見に耳を貸さず、突っ走った結果、 それをさも作ったような建前と共に前面に押し出し、 中身がないために、前例と同じようなやり方しかできない、 そんな人達は、姑息な手段しか使えないのだろう。 自分達への連絡(意見、批判、質問)を拒否し、 しかし、他所でそれを見たときにそれに対し、 話し合うこともせずに一方的に攻撃と見なし、 はたまた時には某大国のようにでっち上げて、 見境なく防衛という名の下に、無茶苦茶な攻撃をする。 とんでもないと思う。 色々なブロガーが、十勝では、このことに関して、特に批判的に持論を展開していることが多い。 実際に、それぞれのブロガーは、似たような考えでいるようだ。 勿論、全てが同じではないし、全然違う考え方のブロガーもいるだろう。 (仏太の周りは、今まで似たような考え方と思われる人達ばかりだ。) ちょっとずれるが、ツイッターで興味深いつぶやきを見つけた。 「ネットで議論する際に匿名は卑怯」というわけのわからん主張を展開する連中って、自分の価値観を他人に強要する無礼さに気づいていない。 言葉はやや強いが言ってる内容はわかる気がするし、賛同する。匿名だから言えることと、匿名で言ってはいけないことってあると思う。発言する側は当然その言葉に本来責任を持つべきで、無責任な発言ととらえる人が「匿名は卑怯」というのだろう。発言した人に対して、議論を交わしたり連絡を取ることができるなら、それを卑怯という前に、話し合えばいいのだと思う。多くのブロガーはコメント欄を開放しているし、メールをするようにできることもある。実際、仏太のブログはコメントできるようにしているし、仏太にメールをできるようにもしている。(ブログの右の欄に「お知らせ」の項目の中に設けている。)もしわからなければ、ここからどうぞ。 仏太にメールする お返事が欲しい方は、メールアドレスを必ず入れて欲しい。また、お返事がなかなか届かないときは再度送ってみてもらいたい。時々なぜか迷惑メールにフィルターかけられてしまっていることがあるのだ。お返事は1週間以内(できるだけ3日以内)にするようにしている。 新ご当地グルメに関することは仏太も時々話題にしている。 10年10月5日「コーン炒飯(コロポックル)」 10年8月18日の日記「トッピングから連想される「新・ご当地グルメ」(Easy Diner)」 10年2月6日の日記「楽しむためのルール(福家)」 10年1月17日の日記「色々な縁(drop-in)」 09年7月25日の日記「つけ麺(古季庵、ルボルドー)」 09年3月9日の日記「十勝芽室コーン炒飯・コーラ・無念な修行」 良いと思うところと、悪いと思うところを天秤にはかると、新ご当地グルメに関して仏太がどう考えているかは、これらの過去ログを見ていただければ簡単にわかるだろう。 実際はもっと沢山、十勝における新ご当地グルメを食べてはいるのだが、カレーと繋がらないためにブログに書かないでいる部分もある。それから、余りにも酷すぎて書けないものもあった。また、しっかり食してないために書けないものもある。 が、あえて、今回は自分の考えをまとめておこうと思う。仏太は、自分の書いたことには責任を持つつもりなので、書いたことに対する御意見、御感想は コメント欄に書いていただいてもいいし、メールをしてくださってもいい。もう一度メール書くところにリンク貼るからね。 仏太にメールする 人の目に触れるのが嫌であれば、お互いのメールのやりとりをするのでも構わない。その旨、メールに書いてくれれば、公開はしない。ただ、常識外れな卑怯なやり方をしてきたら、こちらも考える。(笑)いや、こういう言い方は喧嘩だな。そうじゃない。話し合いが大切なのだ。喧嘩をするつもりはない。議論と喧嘩は違う。批判と非難が違うように。 味などに関して、今回は正直に書こうと思う。気に触ったら申し訳ないのだが、素直に表現することで紛れがないようにしようと思う。 まず簡単に、新ご当地グルメというもの自体に反対という立場を取る。まあ、これは今までブログを見てくださっている聡明な方々はおわかりのことと思う。全否定をするつもりはないが、基本その姿勢には疑問を持っている。何度も主張しているが、同じ人がプロデュースしたものは止めた方がいいと思う。偏った考え方(コンセプト)になり、非常に危険だからだ。地域それぞれの考え方を反映すると言うのだろうが、実際内部の意見を聞いた限りではとてもそうは思えない。ほとんど独裁的?に決まっている感が否めない。そうでなければ、強引な主張により決められていると表現すればいいのだろうか。結果、だいたい似たものになっている。それは当事者から見れば、苦労して考えただの、お金をかけて招聘しただの、色々な理由(言い訳?)が出てきて、似てない、ということになるだろう。しかし、似ている。それは、提供する当事者の決めることではないのだ。周りから見ている消費者が決めることなのだ。いい例えがすぐに思いつかないが、島根県と鳥取県はお互いに似てないと思っているかもしれないが、日本全国の多くの人達は「似ている」と思っている。それと同じようなものだ。(なお、これは島根県や鳥取県を馬鹿にしたり、卑下しているわけでないので、念のため。)一人の人が考えるのには、絶対限界があるのだ。しかも意図的に無理矢理やろうとしているようにも見えるので尚更だ。 例えば、どこが似ているかというと、「ルール」があるということ。定義でもいいし、言葉はなんでもいい、そういった類のものが存在すること自体、変だ。縛りが多いために、その発展性を妨げていることは間違いない。それぞれのバリエーションが少なくなるし、独自性もなくなる。工夫もなくなる。新規参入も起こりにくい。店舗ごとの差が少なくなり、消費者から飽きられやすい。訳のわからないルールもあるので、それにより「面白くなくなっている。」例えば、なんで旗立てなければならないの?なんで箸も統一しなければならないの?そういうことが地元のものを消費するということに繋がると主張するなら、もっと別のことで工夫して、消費者を取り込む方が先決じゃないのだろうか?値段も決められているのはおかしくないか?付加価値を多々つけることになっていながら、値段の上限が決められているために、作る側(提供側)に大変な負担となっている可能性がある。これは長く続けるために必要なこととは思えない。 ほとんどのところは、サイトやブログを開設して、その状況報告などを行っているが、それらの多くは正直、消費者には役立つ情報はない。何故なら、イベントに参加したこと、全部で〜食出たこと、会議が開かれたこと、メディアに紹介されたこと、などがメインの情報で、各店舗の素敵なところを紹介しているのは数少ない。それに、実際のグルメそのものの写真がほとんどない。最初にウエブサイト用に撮られた写真以外にはほとんど取ってないのが現状ではないだろうか。一部内容が変わることはあるだろうし、発展していくこともあるだろう。そういうその時その時のことを即時性を持って発信できるツールの一つがブログだと思う。勿論、ツイッターというやり方も最近ではあるが、ツイッターは文字数が限られているので、使い方がブログより難しい可能性がある。食べるものの写真。最近のブログに全然載ってなかったり、雑誌に載ったものを写真に撮ったものだったりだが、それってかなり違うと思う。消費者が本当に欲しい情報はまず「そのもの」ではないか。しかも、そういったブログのコメントは、承認制か、ユーザーでなければ受け付けてないか、全く受け付けてないかなのだから、方向性としては一方通行かそれに近い状態だ。 十勝の3つではないが、半年以上もホームページ(サイトの表紙)に間違いがあり、それを指摘したら直ったが、その間当事者(推進協議会などと名前のついた団体の人達)は全く気付いてないのも問題がある。また、仏太はしっかり名乗って、それって間違いではないのかとメールしたのだが、それに対する返事もなければ、お礼もない。(ものをくれと言っているのではない。)サイトやブログの更新がかなり滞っているところも沢山あり、実際にそれが活動(食の提供を含めて)しているのか非常に疑問に思えるものもある。 あるところに行くときに、下調べして美味しそうだと思った3軒をピックアップしていたのだが、そのうち2軒はあたかもいつもやってないような言い方で「ないよ。」ということを言われた。メニューにも書いてあったのだが、用意してなかったのだ。う〜〜ん。 これらは、十勝ではないのところの例を多く挙げてみたが、正直やる気のなさを感じさせる部分でもある。 十勝の豚丼や中華ちらしは、委員会などを作らなくてもしっかり根付いているし、庶民のものになっている。お店で食べなくても家で作る。食文化の一端を担っているのだ。しかし、作られた「グルメ」が定着することはほとんどないと思われる。まず一つに、認知度は低いと思われるからだ。名前を覚えようにも長ったらしすぎて覚える気にならない。略称があらかじめ設定されているところもあるが、正直、じゃ最初からそういう名前にすればいいじゃん、と思う。しかもそれもルールになっているところがおかしいと思う。だから、発展性が妨げられていると思うのだ。例えば、札幌のスープカレー。確かに札幌が発祥だが、わざわざ「札幌スープカレー」って名前にするってルールを決めた人はいない。また、スープカレーもありだし、スープカリーもありだ。 直接、当事者にルールはおかしいと思うと持論をぶつけたことがある。返ってきた答えは、他と差別化することでブランド化を狙うとか、なんだか小難しいことだった。が、ブランドになる前に潰れたらお終いだと思うとも伝えた。まず、維持して発展させなければならないのではないかな。でも、人の意見を聞くような人ではなかったから、きっと覚えてないだろうな。 地元の食材の選択も疑問符をつけたくなるものが多々ある。本当にもっと地元のことを考えたら、そういう食材を選ぶかな、って思ったり、その食材をそういう調理の仕方にするかな、って思ったりする。 さて、各論的に述べることにするが、あくまでも個人の意見だ。職場は関係ない。書いた文章には仏太が個人的に責任を持つつもりなので、御意見ご質問は仏太まで。決して、職場の上司に「ちくる」ような汚い真似は止めて欲しい。職場には迷惑をかけたくない。それを仏太の弱みと考えてあえてするのであれば、それは山茶花さんの言う言論テロの一つと見なさざるを得ない。仏太はオープンに話をする用意はある。仏太の一連の文章を読んで、話し合いをしたい場合はメールでもコメント欄でも構わないし、直接話し合いたい場合は申し込んでもらっても構わないが、それ相応の覚悟を持っていただきたい。萬造さんは残念なことになったが、仏太は職場の大ボスからお墨付きをもらっているつもりだし、大ボスも理解のある方だから、「それは職場とは関係ないので、仏太個人と直接話してください。」と丁重に説明することと思う。考えのほとんどはこうして残る形の文章として書いているので、おわかりいただけると思うが、これがブロガー、ウエブ管理人としての表現の仕方なのだ。それを苦手と思わず、ご理解いただきたいと思う。 さて、今度こそ各論。コーン炒飯とエダマメンについては、上記にリンクを貼った拙ブログでの発言にも詳細を書いているところがあるので、お読みいただければ幸いだ。 コーン炒飯 コーン炒飯ブログ 仏太はこれは好きで、提供店舗数が少ないこともあり、全店制覇した唯一の新ご当地グルメ。基本の作りは一緒で添え物が違ったりするところに工夫をしているのだろう。しかし、皿まで決められてしまっているのはどうかと思う。(メーカーという意味ではなく、白い皿、というルールがある。)また、コーン炒飯以外に必ずコーンスープをつけなければならないというのも自由度を極端に制限している。スープくらい独自のものでいいじゃん。コーンは必ず上に載せなければならないのもおかしい。混ぜた方が美味しいという一般人の意見は多いし、どちらもありの方がそれぞれ面白いと思う。また、炒飯の作り方も決まっているようだが、炒飯がカレー炒飯でもケチャップ炒飯でもそれぞれ面白いと思う。そういうことに挑戦したところがあり、仏太的には非常に評価している。また、芽室に限定しているというのも訳がわからない。目的の一つに、芽室特産のコーンの消費を拡大する、ということがあるだろうと思われるので、そのためにできることをすべきだと思う。最初、提供していた6店舗のうち、一つは移転で帯広に出た。また、残る5店のうち1つが帯広に支店を出した。どちらでもコーン炒飯の帯広での提供について聞いてみたが、どちらの答えも同じだった。委員会(とあえて言っておく)の強い反対、指示により断念したと。帯広でも消費されるならそれは願ったり叶ったりだと思うのだが。帯広で食べた人が、「本場の」芽室で食べてみたい、と思わせるのが、消費拡大に繋がると思う。 エダマメン 十勝おびひろ枝豆サラダ麺 by まめサラくん 名前が覚えられなくて、仏太はエダマメンと呼んでいる。(調べ直したら、十勝おびひろ枝豆サラダ麺だそうだ。長くて覚えられない。苦笑)枝豆は帯広でも採れるが、十勝の中では帯広よりは中札内だろう。マッシュルームに関してとても難しいルールが設けられている。麺も決まっていてつけだれも決まっている。つけ麺で冷たいパターンでなければならないことも決まっている。当初から、冷たいだけだと寒い冬はどうするんだ?という疑問が内部からも上がっていたようだが、結局一人の人の強引な主張がそのまま通ってしまったようだ。その後、冬には暖かいバージョンでカレー味のモノが出た。しかし、その成り立ちなどを考えてカレー味であるにもかかわらず、仏太は食してないのだ!!!オリジナルのエダマメン自体もタレはすごく美味しいものとは思えなかったし、2カ所で食べているのだが、ほとんど同じ味に思えた。また、食べ方にもルールがあり、3つの味わいをしなければならない?ようだ。それを説明することになっているようだが、仏太は説明を受けた覚えはないなあ。 ブログを管理しているのは、実際は委員会の人だと思うが、ネット上はまめサラくんというキャラクターが活躍している。まめサラくんだけに、まめにブログなどに名前が出てないかチェックしている。仏太のところでも食べたことを載せたら、数日でコメントがきていてちょっと吃驚した。自分のことがどのように言われているかを把握しようとする、そういう姿勢は買える。ただ、それらをどのように活かしているのかは不明だし、もしかしたらただ単に評判だけをチェックしているだけかもしれない。 牛玉丼 ご当地グルメ 十勝清水牛玉ステーキ丼! by 十勝清水のご当地グルメ ブログで準備段階から発信したはいいけど、批判を浴びてそれに耐えられず、コメント欄を閉鎖してしまい、他からの意見をシャットアウトしてしまったのは有名な話。当初サイコロを振って安くするという恐ろしいアイディアが強引に進められそうになったが、それを阻止できたのは評価される。というか、そんなことで評価されるより、もっと本質で評価されるべきだ。ということは、そういうルールが提案され、決められようとしていたこと自体にも問題があるということだろう。 牛肉と玉子の使い方がもったいないと評判だ。仏太は肉は牛肉をほとんど食べないので、それに対して何か言えるほどの知識と経験がない。玉子は好きなので食べるし、自分で料理するときも使う。この料理は玉子の使い方はもったいないと思う。恐らく牛肉はそれと同じかもっともったいない使い方をされているのだろう。何故なら、どちらも味噌味になっているからだ。それをルールで決めてしまうのも理解しがたい。仏太は1店舗しか食べてないが、それでも断言しよう。これは正直不味い。実はルールをよく見ないで食べてみた。多分、一般の人もルールとかを全部しっかり把握して食べるわけではないだろう、というのが今回食べるときにそうした言い訳。たまたま、仏太が行ったところは提供9店舗の中で一番ではないかと噂のところ。職場に清水町出身の人がいて、その人の親戚が清水町の町役場の人らしく、近隣で一番前評判がいいのがそこだと聞いた。 食べる前に、色々と噂のあったところで、でも噂先行で食べずに文句を言うのはよろしくないと思い、まず食べることにした。その感想が不味いだ。これから食べる人に悪影響を与えてはいけないので、今まではこの発言はmixiの中だけにしていた。(もし、mixiをやっている人で見たい方がいれば、mixiの仏太の日記2010年9月19日「やっぱりガッカリ!」をご参照ください。)しかし、今回はあえて書こうと思う。牛玉丼の関係者の方々がもしこれを読む機会があるなら、人の職場まで押しかけて、素晴らしいブログを閉鎖に追い込むという危ないことをする前に、御自分達がしていること、提供しているもののことなどを再考することが先決であることを認識していただきたいのだ。不味いという感想は仏太の個人の感想でしかないのだが、よく考えていただきたい。仏太は普段はあまり公となるブログやサイトでは不味いなどという直接的な表現をしていない。それをあえてするのだから、相当なものだという認識を持っていただきたいのだ。勿論、味の好みは人それぞれだから、仏太が不味いと言ったところで、それが決まりではない。あくまで個人の意見としてとらえていただきたい。 味噌が、全てをぶちこわしている。牛肉の美味しさが伝わってこない。その前に味噌のしょっぱさが際立っていて、まずその時点で舌がやられてしまう。ちょっと甘いだろう、緩和しようと思って口にした玉子(ルールでスクランブルエッグと決まっている。)もなんと味噌味!!!その味噌も特製のものを使わなければならないようだ。ということは、牛肉の焼き方の違いくらいで、これだけ濃く味付けされている部分はどこも同じ可能性が高い。であれば、一つ行ったら、もう別のところに行く気はない。丼一つを食べるのに、全然口が休まる暇がない。そして、添え物的に色々なものがついていたが、コストの関係だろう、手を抜いたように思える(抜いてないのかもしれないが、そう思える。)内容だった。再食はない、と思ったのは、十勝の3つのうちでここだけ。 失った信用を取り戻すには、その時間の最低3倍はかけないと無理だと言われる。早い段階で再考することをお勧めするが、仏太ごときの矮小なものがそのようなことを吼えていても難しいだろうな。 最後に、まとめと言いがたいかもしれないまとめ。 ・新ご当地グルメは全体的に見直す必要があると思われる。 ・これは一意見であるので、それを受け止めるも無視するもよし。 ・攻撃をするのであれば、それに対することは講じるが、基本争いは好きではない。 ・話し合いをすべき要点を考えて欲しい。 ・仏太は十勝が好きなので、もっといい方向に進んでもらいたいと思っている。 批判ばかりではなく、建設的な意見も。ブロガーとしてブログに関して。もっと提供店舗それぞれで出している「食事そのもの」特にいわゆる「新ご当地グルメ」を紹介したり、提供店舗や食材について詳細を載せるということが、もっと消費者の気持ちを揺さぶると思う。手前味噌で申し訳ないが、仏太のブログは常にカレーについて、できるだけ食したところ、食したカレーについて、読みやすく紹介しているつもりだ。(勿論無償。笑)そして、更に深く掘り下げたところに、乙華麗様です!というコーナーを設けて、カレー提供店舗(仏太の言葉では修行場)で働く人にスポットをあてたものを書いている。個人的には、修行者(消費者)としての視点で見て、インタビューしてそれを載せているのだ。いかがだろうか? ここまで、この長文駄文にお付き合いいただいた方がいましたら、誠にありがとうございます。 再三になりますが、御意見、ご質問は謹んでお受けいたします。(2010年12月記す。) 仏太にメールする 参考サイト・ブログ 山茶花四十郎が行く とかち、かってに交通情報。 表裏 帯広TVスポーツ部 十勝芽室コーン炒飯(公式サイト) 十勝芽室コーン炒飯(公式ブログ) 十勝おびひろ枝豆サラダ麺(公式サイト) 十勝おびひろ枝豆サラダ麺(公式ブログ) 十勝清水牛玉ステーキ丼(公式サイト) 十勝清水「新・ご当地グルメ」(公式ブログ) 新ご当地グルメ公式サイト タイトル思い付かないから思い付いたら書きなおす。(表裏) 地域限定SNSで『言論テロ』は何故起きるのか? 地域限定SNSで『言論テロ』は何故起きるのか? 其の2 地域限定SNSで『言論テロ』は何故起きるのか? 其の3 乙華麗様です!(仏太のカレー修行) |
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