小内勝敏マスタープロフィール 小内勝敏(おない かつとし) 44才男性 ・役職 オーナーシェフ ・血液型 O型 ・出身 帯広市 |
十勝は全部で19市町村からなる。帯広以外は町村だ。その一つに豊頃町がある。正直、仏太は十勝に来るまで知らなかった。十勝の中では、東南になる。で、そこで開拓の祖と言われているのが二宮尊親(にのみやたかちか、にのみやそんしん)という人だ。ん?と思った方もいるだろう。二宮といえば、全国的に有名なのは二宮尊徳(にのみやそんとく)だろう。薪を背負って本を読みながら歩く銅像は有名で、全国各地にあるらしい。その二宮尊徳の孫が二宮尊親なのだ。豊頃町のことを知ったのも最近だし、二宮尊親のことを知ったのも最近だ。かろうじて二宮尊徳は小学生の頃伝記を読んだ覚えがある。ちょっとすねたことを言う。二宮尊徳くらい勉強しなさい、と言われたが、ああいう本の読み方をしたら眼を悪くするし、交通事故に遭うかもしれない。(笑)全く余談だが、仏太が読んだ伝記のタイトルは二宮金次郎だった。尊徳の幼名らしい。 さて、その二宮尊徳の名前からつけられたのが、帯広市にあるアジアン食堂そん徳だ。マスターの小内勝敏さんはなんとなく雰囲気が、二宮尊徳のイメージだ。そん徳が二宮尊徳からきているということを小内さんから聞くまでわからなかったくせに、そう思うあたりは、見た目の印象が合っているかどうか自信がないということに繋がるが、言われてわかることもあるものだ。いずれにしても、二宮尊徳の名前から取った名前は尊徳とすると堅苦しいということでそん徳とひらがな混じりにしたという。当然好きだからその名前をつけるのだが、二宮尊徳の農業経済学者(?)としての戦略的に優れているところなどが好きな理由なのだそうだ。なるほど、そういう辺りもイメージはマスターと二宮尊徳は似ている気がする。 参考サイト 豊頃町開拓の祖 二宮尊親 豊頃町史 概要 GAIAの「二宮尊親先生」という項目 今の場所に移ったのは、以前のところが狭かったから。アジア料理を中心にやろうと思っていた。が、実は東南アジアに行ったことはない。ちょっとこれ吃驚。旅行はあまり好きではない。移動時間がもったいないと考える。なんとなく外見はおっとり?温厚な感じだが、実はせっかち???(笑)せっかちという言葉は当てはまらないな。仏太もベトナムくらいしかないし、札幌でそういった店に行って、本格的なものを食べることがあるが、そん徳のフォーは全然遜色ない。タイ料理は生のハーブを使うことが多く、中国は乾燥ハーブが多いそうで、どちらも米の麺を使うのは共通点の一つとのこと。中国やベトナムに行ったことがなくても、料理は本格的なものになるのは凄い! 修行は札幌でしていて、その時いくつかの店を回って、主に中華を学んだ。札幌に出るときは最初から帯広に戻ってくるつもりで頑張ることに決めていた。途中で挫折したり、考えを変えたりすることなく、一本筋が通った堅さで意志を貫き通した。 帯広に帰ってからは、居酒屋をしていたが、そこの名前もそん徳。名前はその時から変わってない。99年にオープンで、以前の場所は天竺と並びにあった。(現在音更にあるシャンバラ天竺は移転前は帯広にあった。乙華麗様です!の09年8月中山一郎マスターの項参照。)店が近いので、天竺のオーナー中山さんと一緒に飲んでいたことがある。最近は遠くなったり、定休日が違うので、一緒に飲むことはほとんどない。が、お互いを行き来して、食事をしていることはある。 奥さんと知り合ったのは、以前の店の時。前の店で共通の知り合いがいて一緒に飲んだり遊んでいた。その思い出の場所を手放すのだから、並々ならぬ思いで現在のところに移ったのだろう。が、新しい現在のところに移って、3年前に結婚したのだから、現在のところもいい思い出があるところだ。もう少し広い場所を、と探していたときに今の場所を見つけた。以前ラーメン屋だったのだが、そこを改装して、今のそん徳は2004年7月22日にオープン。色々な考えがあったのだろうが、その多くを口にせず、寡黙に目的を達成する「無言実行」タイプの渋さが光る。 実家でのお料理はオムライスが初めてで小学校の時。ケチャップが好きで、自分でオムライスを作ってケチャップをかけて食べたと。小さい頃から料理人になりたかったわけではないが、そういう辺りを覚えているのは、やはり何か思うところがあったのかも。(記憶力の問題かもしれないが、仏太は最初に料理した時をしっかり覚えてない。笑)高校の時に担任の先生にインデアンでカレーを作りたいと言ったことがあり、それが他人に料理の世界に入りたいと表明したのは初めて。しかし、後から考えたら、インデアンでなくてよかったと。インデアンはインデアンで素敵なのだろうが、マスターのように色々なものを作ることができる腕と考えがあるなら、そん徳をやって下さって仏太的にも嬉しいものだ。(美味しいカレーなどを食せる!!!笑) 食事はほとんど家では作らない。賄い的に食べるか、休みの時も店に出てきて作ってしまう。その方が時間的にも材料的にも早くできる。要するに、店で仕込みをしつつ、店で作って家に持って帰るというパターン。実際は、休みの日は食べ歩きが多い。特に最近はそばを食べ歩いていることが多いかも。コシの強い田舎そばが好きだというあたり仏太と好みが一緒だ。奥さんとは好みが違う場合があり、お互いに味比べをしていることもある。美味しいそば屋を一通り聞いてみた。当然、そこにカレーそばがあるか聞いてみたんだけど、やはりしっかり覚えてらっしゃらない。普通、そばを食べ歩く方々はカレーそばがあるかは気にしないし、本当にそばを楽しもうと思ったらカレーは香りを消してしまうから邪道なのだろう。小内マスターのこだわりが、そばにもあることがうかがえる。 マスターが厨房で奥さんがホールというスタイルは以前から。ただ、前は奥さんも厨房にもいたことがあり、その時はバイトを雇っていた。最近は年々お客さんが減っていてバイトは雇ってない。二人だけでやっている。分業してからあまり人前にマスターは出なくなってしまった。それだけ信頼する奥さんがしっかりやってくれているし、マスターの料理への情熱が、その徹底ぶりを表しているようだ。二人だけでやっていると、心配なのはお休みや体調。料理への気持ちからか、長期休みを取ってない。また、体力があるようで、2日以上熱が出ることはない。ちょっとくらい熱があっても仕事には出る。ちょっと職人気質っぽく聞こえるが、その言葉からイメージする頑固という感じではない。 ただ、こだわりというか主張はある。お話を聞かせてもらった2月は十勝産の小麦粉「十勝穂」を使った創作カレーうどんのイベントがあり、ちょうどその真っ最中だった。そん徳は今まであった冬の陣4回全てに参加している唯一の修行場だ。仏太は前回(09年)と今回食させてもらったが、どちらも美味しかった。一番最初にやったのはカオソーイみたいなパターンで、毎回タイ料理をイメージしてやっている。食したことはないが、カオソーイみたいなパターンというのに無茶苦茶惹かれる。小内マスターの奥さんは今まで参加した4つのカレーうどんの中で、それが一番好きだというのも益々興味を惹かれるものがある。4回参加してきて辛いものもあるが、そうでないものもあり、マスターも奥さんも修行者に美味しく楽しんでもらえるように考えてる。辛いのがあるっていうのは、仏太としては嬉しい。中々カレーうどんで辛いものってないからなあ。また、今回はスープがついていたのだが、他のご飯ものや麺ものにつけている流れでつけたそうだ。冬の陣のためだけというわけではない。そういう「主張」も、出しゃばりすぎない程良さで表明している。 メニューにフォーが多いのは、ベトナムに行ったことがあるからだと思ったら、そうではない。中華でフォーと同じような米の麺をよく使う。ビーフンなどもそう。といいながら中国も行ったわけではない。中華料理店で働いていたときに学んだものが多い。中国人がいるところもあったが、いないところもあった。中国に行けば、色々な麺があるということを聞いて教育されたと。刀削麺のことを聞いてみたらやはり知ってらした。仏太は名古屋で食べた刀削麺が忘れられなかったので、その話をしたら、小内マスターは笑って色々と話してくださった。マスターの麺へのこだわりは、今のところフォーで、それだからこそメニューもフォーのものが多かったりする。仏太がベトナムで食べたフォーもバリエーションが凄く多かった。小内マスターが奥さんと生み出すメニューも色々なものがある。好きだからこそ、新しいものを考え出せるだろうし、色々なことができるのだと思う。 カレーは好きだが、メニューの中ではフォーがイチオシ。カレーが中心というわけではない。と断言するあたりは、カレーヲタクとしてはちょっと残念だが、そういう徹底的なところが小内マスターらしくて、素敵な一面だと思う。が、かといってカレーを手抜きしているわけではなく、むしろ美味しいものだ。そして、マスターはカレーも好きで、タイのグリーンカレーなどをメニューに取り入れてるところからもそれがわかる。グリーンカレーのカレーペーストは自家製だと色が出ないため、東京から取り寄せている。また、以前のなくなったメニューでは、納豆を使ったカレーがあり、マスター自身はそれが好きだった。こういうことからも、かなりレパートリーが広いことがうかがえる。 スープカレーのスパイスの調合は、札幌の天竺を参考にしているが、教えてもらったわけではなく、自己流。数軒食したくらいで、基本スープカレーは独学。(好きなのはシャンバラ天竺やカトマンドゥ。)試作して、カルダモン、シナモン、クローブあたりが好きだとわかり、それらを上手く増減した。結構沢山試行錯誤した。そういうところにも妥協しない徹底的な姿勢が見え隠れする。辛さ調節できる?そのあたりを聞いてみた。唐辛子マークでメニューに辛さの目安が表示されているが、その倍くらいまではできるそうだ。味のこだわりで辛さを限定しているわけではない。 自家製つくねスープカリー スープカレーのフォー(奥左)、 グリーンカレーのフォー(手前)、 豚挽肉とココナッツカレーのあんかけご飯(奥右) 小内マスターはあっさりスープが一番好きで、中華ちらし、グリーンカレー、ココナッツ好き。あんかけもいい。そんな風に話しているのを聞いていると、メニューをそのまま聞いている気にもなってくる。(笑)そう、好きこそものの上手なれ、とよく言ったもので、マスターは自分が好きなものを料理することでますます美味しく仕上がるのだろう。中華ちらしは札幌での修行中は最初店の賄い的に作っていた。地元(帯広)独特のものと最初知らず、札幌の中華料理店になかったので吃驚した。豚丼も当たり前に食べていたから、真のご当地グルメだと知らず、札幌にもあって当たり前くらいに思っていた。 今後そん徳のメニューはセットを増やしていくつもり。だけど、1000円を出ないように考えている。メニューが減ったのは10年1月だが、それはセットに慣れてなくて、慣れるまでは今のスタイルが続くだろう。そのうちまた徐々に増やしていく予定。無理に自分のキャパを超えてやってしまうと、そのうちパンクしてしまう可能性が高いので、冷静に押さえているのは、流石二宮尊徳が好きなだけあるなあ、と妙に感心したりする。(笑) 食事はよく出るのだが、ドリンクはあまり出ない。お酒のメニューは自分の好み。最近は宅飲みが多く、バーボン、赤ワイン、ビールなどを楽しんでいる。近所の飲み屋によく行っていたが、その飲み屋が移転してしまい、それからはほとんど外で飲まなくなってしまった。以前は、そん徳でも結構アルコールメニューやおつまみ系のメニューがたくさんあった。が、出るのはつまみ系よりも食事。最初、22時までの営業だったが、23時、24時にしたら、結構お客さんが入るようになった。だから、お酒も結構出るのかと思ったら、やはり車で来る人は飲めないから、そのあたりが難しいのだろう。 壁にビールのラベルが貼ってある。東南アジアのビールで有名なものが多いから、知っている人は全てわかるかも。また、雑貨類も興味深いものが置いていて、現地で買ったのではないかと思われるものもある。料理を待っている間、食べ終わってゆったりしている時にそういうのを見ていても面白い。が、旅行をあまりしない、海外は行かないと言う小内マスターがそういう雑貨インテリア関係を持っているのはどうしてだろう?インテリアは帯広市内の店で色々と買いあさったという。なるほど。 入って左が厨房などがある。実はそこにカウンター席が少しある。が、ほとんどは入って右のテーブル席だ。木のテーブルと椅子がゆったりと置かれているが、所々に2人掛けの椅子もある。以前はカウンター席で横長になっていた。壁に向かう席だったが、その名残なのだ。一度配置を換えたときに導入したソファ席はカフェ風。奥に小上がりもある。予約や宴会の時に開放される。予約すれば東南アジア料理を中心として(中華も含めて)コース料理を出せるとのこと。 ちょうど行ったときに音楽はプリンスの1999がかかっていた。70年代や80年代の音楽をかけていると。天竺のマスター中山さんが来たときに、かぶるから違うのにして、とよく言われるそうだ。(笑)勿論、小内マスターは好きなものは好きで、御自分の考えを貫き通す方なので、そう簡単には替えない。かといって、頑固で融通が利かないわけではない。テーブル配置などにしても最初にいいと思ったものをずっと続けているわけではない。 先にも書いたが、元々料理が好きで実家でも自分で作っていた。将来は調理人になると考えていた。それを表明したのは高校生の時だが、その後そのまますぐに料理の道に入った。調理師の免許を持っているわけではないが、腕一本で現在の美味しい料理に繋がっている。インデアン、ジャングルワンは子供の頃から行っていたので、普通に受け入れている。料理人として、一本の意志があり、でも、それだけにとらわれず、色々なもの、ことを受け入れる柔軟性もある。時代や背景が違うが、二宮尊徳のイメージがダブってくる。やっていることは全然違うのだが、好きな人に似てくるのは当然のようにあるだろう。 今後の目標は? 最初に出てきたのは、「あまり持たない。」という答えだったが、一瞬耳を疑った。目標がないってこと?と思ったのだった。しかし、それは違ったようだ。全くないわけではなく、大きな将来的な目標は今ない、ということのようだった。ちょっと考えて、 「フォーをみんなに知ってもらいたい。」 と、静かに話した。 フォーって何?という人がまだいる。ベトナム料理が少し浸透してきたといってもそれは東京や札幌などの大都市だけかもしれない。フォーを食べて美味しいと麺を買っていく人も結構いる。そういう点では、帯広は都会っぽく見えて実はまだ田舎のところもあるのがわかる。マスターの一途さでフォーを浸透させていただきたいし、フォーと一緒にカレーの新しい形、可能性を提案してそれも広めていただきたいと思った。(結局、仏太はカレー。笑) そん徳は10年7月15日で一度営業終了。西17条南4丁目から移転して近日オープンの予定。詳細わかり次第レポートの予定。(10年7月追記。) |
参考サイト・ブログ 豊頃町 豊頃町開拓の祖 二宮尊親 豊頃町史 概要 GAIAの「二宮尊親先生」という項目 冬の陣カレー |
修行場データ アジアン食堂 そん徳 帯広市西17条南4丁目8 0155-35-9722 11:30-15:00, 17:30-24:00 (日17:30-23:00) 火曜定休 (修行場・十勝「そん徳」参照。) |
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