式見貴光シェフプロフィール 式見貴光(しきみ たかみつ) 39才男性 ・役職 シェフ(業務次長) ・血液型 A型 ・出身 音更町 |
「式見」という姓は十勝では本別町にあり、それは十勝で一軒だけだった。現在は式見貴光シェフと、帯広に数軒いるらしい。ネットで検索すると長崎県長崎市に式見町という地名や式見小学校、式見中学校があることはわかった。そちらがルーツなのではないかというが、それ以上しっかり調べたことはないと。ちょっと適当っぽく聞こえるかもしれないが、血液型は几帳面と言われるA型。だが、初めて会った人にはO型かB型と間違われる。まるで仏太みたいだ。そんな親しみの湧く式見シェフの人生も波瀾万丈だ。 お姉さんがいて中学卒業して調理師学校に行ってた。目の前に見本がいた。同じような経歴をたどることになった。勉強をしてなかったので、高校は受からないと思っていた。実際に高校に落ちてしまい、調理師学校に1年行った。これが今の式見シェフの進路を決めたと言っても過言ではないだろう。式見シェフは中卒であることで就職が大変なときもあったけど、仕事をしていたら学歴が関係ないこともあるし、別に隠すことはない、と笑う。色々と苦労があったのだろうが、それを感じさせない大きな人だ。そして、「自分は馬鹿だから、それをコンプレックスにするのではなく、利用する。」と前向きな姿勢。周りの人はみんな自分より頭がいいのだから、なんでも聞くようにしている。式見シェフと話していると、「頭が悪い」とはとうてい思えない。勉強ができる=頭がいい、というのは違うと思うし、式見シェフが自分で言うように頭が悪いとは思えない。それは、社会の中でもまれて、努力してきたからなのだろう。 「長所は短所、短所は長所」 頭のいい人にとりつく。聞いて覚える。(耳学問)頭のいい人の言っていることは正しい。言ってることが後から実体験できると本当の知識となる。プライドがないからなんでも人に聞く。馬鹿と思われる方が得。学歴は「社会に出たら、あまり変わらない。」勿論、自らそういう道で苦労してきてるから言える言葉だろう。 17才で、帯広の洋食レストランの門を叩いた。今はなくなってしまったところだが、弟子の一つに有名どころ「まなべ」があるそうだ。そんなレストランで、5〜6年程修業を積んだ。料理の世界も上下が厳しい。こき使われ、厳しい修業時代が続いた。時には優しいときもあり、本当の親子のように接していた。ある時、親方が以前半年ほど住んでいたイタリアを中心としてヨーロッパ旅行をすることになり、それに式見シェフも誘われた。総費用の半分を出してくれるということで、式見シェフは19才にして初めて飛行機に乗った。フランス、イタリア、スペイン、イギリス、ギリシャなどほとんど食い道楽の旅だったと。ツアーなのでレストランなどはほとんどついているらしいが、それで出てくる食事以外に、自分が気に入ったものを追加注文して、毎食2人前くらい食べていた。12日間の旅行だったがかなり太ったと。しかし、式見シェフにとってそれはとても楽しい思い出で、その時帰りたくないと泣いたそうだ。(泣きわめいたわけではなさそうだが。笑)そういういい思い出があっても、日本に戻ればやはり師弟関係のある料理人だ。仕事に戻れば、以前と同じ状態が戻ってくる。そのうちマンネリ化して辛くなってきたときに、親方から「世間を見てこい!」と気持ちよく外に出ることを許された。すなわち、そのレストランでの仕事を区切りにしたのだ。 その後、少し「調理する」仕事から離れる。しかし、食に関わる仕事が続くことになる。お菓子の配達の仕事をし始めたのだが、あまりに単調で飽きっぽい式見シェフはすぐに嫌になってしまった。半年くらいで止めてしまった。その次は、食とは関係なく、雑貨屋の配達、雑用、営業をやはり半年ほどした。本当は営業の仕事をしたかったのだが、ここの営業は日帰りで留萌とか、1泊2日で根室とか、きつい営業が多く、耐えられなくなってしまったのだ。そんな時に、冷凍食品の会社の人と知り合い、誘ってもらった。それが縁で上手く雇ってもらえた。そこの営業は式見シェフの才能を開花させた。料理の知識があるので、それを活かして、調理方法のアドバイスをしながら売り歩いたそうだ。相手は仕出し弁当などを手がけるおばちゃん連中。若い式見シェフは人気があり、そのうちにしゃべりも得意になっていったと。隠れていた才能が出てきたのだろう。そして、それは話を聞いているだけで、今現在の式見シェフの素地を作っていると思われる。冷凍食品を持っていき、こんな調理例もいいんじゃない?みたいな形で薦めていったそうだ。成績は伸びて、仕事も面白かったので5年ほど続いた。社会をよく知らなかった式見シェフも、会社が大きくないとはいえ、サラリーマンがどういうものかということを知ることができたいい機会でもあったと。が、やはり時が経ってくると、このままではやばいということを感じ始めていた。自分がやりたいことはやはり調理なんだとわかっていたからだ。 最初に修行した先の親方とは喧嘩別れではなく、しっかり挨拶して出てきていたし、その後の勤め先の上司も親方に挨拶に行っていたので、関係は円満だった。将来のことを考えているときに、親方から、人手不足になっているから困っている、忙しいから手伝ってくれないか、と誘われた。その時の上司に相談して結論を出した。30才くらいでまた洋食の料理の世界へ戻った。が、いざ戻ってみると色々と苦労があり、当時90kgあった体重がみるみる痩せて4ヶ月で75kg落ちてしまった。ダイエットをしているなら驚異的で本を出せそうだが(笑)、そういうわけではないから健康が心配だ。事実、周りの人に「きっと癌だから病院へ行け。」と言われたという。諸々あり、そこでの仕事が合わないと判断して、次の仕事が決まってもいないのに、結局辞めてしまった。失業保険をもらいながら、次の職を探した。焼鳥屋やラーメン屋でバイトして食に関する仕事に携わり、調理をするというところでカンを失わないようにしていた。しかし、やはり洋食屋という性か、長くは続かなかった。このままやっていてもしょうがないという気持ちと、このままではダメだという気持ちが交錯して、レベルアップを求めた。昼はお金の入る仕事をして夜は自分のやりがいを感じる仕事をしたかったと。しかし、そういうのも思い通りに行くわけではない。病院給食の仕事が良さそうだったので、昼はそれで金を稼ぎ、夜はバイトをして、一心不乱に働いた。知り合いの店でバイトをさせてもらい、将来の自分の糧になるように頑張った。しかし、病院給食の仕事はやり始めてみると、当初の話と全然違うことがあり、結局辞めることとなった。 そして、ここでやっと(!)ピア21しほろのレストランの話が舞い込んできた。平成13年4月に入職して、その後、色々あったが現在に至っている。今の勤めが一番長く続いていることになる。(現在10年目に突入)入職したとき、ここと思うところを改良していった。現在でも改良点はまだまだあるそうだが、それでも当時に比べたらかなり良くなったと。新しい長が来て、式見シェフがかねてから出したいものを一品出した。無茶苦茶美味しいと言われた。そこをスタートにして、平成16年3月→4月の時にメニューを大幅に変えた。洋食メニューを増やして一新。 ピア21しほろは、平成元年4月に士幌町がドライブインとして建てた。キャッチフレーズである「ふれあいユートピアしほろ」からピアとしほろを取り、21世紀に羽ばたくという意味で21を名前に入れたのだ。裏にあるJA士幌の工場の見学をした後などに関係者に寄ってもらおうという思惑もあったようだ。見学者が訪れていたので、しほろ牛をアピールする絶好の機会になる!ということで始まり、そのうち平成5年か6年に道の駅の制度が始まり、それをすぐに取り入れた。 式見シェフはそんなピア21しほろに来て、以後現在までが今までで一番楽で楽しいと。それは人に恵まれたからでもあるだろう。厨房を守るシェフの上司も似たような経歴で共感できる部分があり、頑張れた。同じシェフだから、色々と言い合っていいものを作り出している。スタッフ、パート、アルバイトの人達はいい意味で癖のある人が多い。物産館担当の女性は長距離を毎日車で運転して通勤。JA士幌の委託を受けて仕入れているが、お土産品を目利きして選び、商品として出している。カレーのものが多いのがとても仏太的には印象的。士幌高校出身で専攻科を出ているアイス担当の女の子はアイスについて詳しい。こんなのどう?とアイディアを持ってきて式見シェフに具現化してもらい、実際に商品になったものは既に10種類を超える。アイス以外にも色々とできる。ソーセージを詰めることもできる。期待の若手だ。全体でスタッフ3人、パート7人、バイト5人という精鋭でやっている。広さの割には少人数でやっているように思える。休みが取れないのではないかと思ったが、そこは上手くやっているようで、逆に正社員が少ない方が動きを取りやすいということもあるそうだ。少数精鋭ってところだな。 メニューの一番人気は、剣先ステーキかと思いきや、実はそばやチキンカツもよく出ると。客層としては、旅行者やサラリーマン(営業、農業関係)、ご年配の方々が多いそうだ。剣先ステーキは焼鳥屋のマスターが考えた。地元士幌町で有名な焼鳥屋で、以前式見シェフがバイトをしていたことがある。やはり地元のことを考えたアイディアだ。 スープカレーは始めた頃、ちょうど流行りそうな感じがあったのでやってみた。ちょうどインド風カレーにはまりつつあったので、その影響もある。自分でインドカレーを作ろうとして、調べたところギーを使うので諦めかけたら、無塩バターで代用できるとわかった。それを使ってカレーを作ったが、油ギドギドになってしまった。そこにスープを足して割ることでちょうどよい感じになり、スープカレー風となった。最初はカレー粉を入れていたのだが、そのうちスパイスを入れるようになり、10種類前後を上手く組み合わせた。なんと式見シェフはそれまでスープカレーなるものを食したことがなかったそうだ!!!実際に帯広にWAMUWができてから初めて修行場に食しに行ったそうだ。それは自分で作ってからだいたい1〜2年後のことだったそうだ。その後、何軒か食したし、札幌でも2軒ほど食した。お気に入りのスープカレーは、以前稲田の方にあったグダイマイや現在グリーンパークの近くにあるふじやだそうだ。特にふじやの納豆カレーには度肝を抜かれたと。感動ものだったそうだ。話を戻すと、要するに、独学でスープカレーを作ってしまったのだから凄い。野菜は地元のものを中心に十勝産にしている。肉は基本しほろ牛を使っていて、道の駅の経営に町が関わっているので、そのしほろ牛の宣伝的な意味合いもある。実際美味しいので使っているのだが。海外のものはチキンやラムだそうだ。(ただし、ラムはカレーには使われていない。)今後、ラムカレーも考えて欲しいと仏太から式見シェフにお願いしておいた。(笑) 最初スープは、コンソメスープのカレー味と思っていた。(なめていた。笑)インドカレーをベースに作ろうとしたときには玉ネギが飴色になるまで炒めてチキンブイヨンを加えていた。そう、スープは以前はチキンブイヨンを中心に考えていた。が、何軒か食し歩いているうちに、インドカレーっていうよりはラーメンに近いという感じを受けた。そして、更に進化させて、バナナ、マンゴー、ヨーグルトなどを入れている。ベースのスープは、5,6年前から現在までビーフを煮込んだスープとブレンドしてコクが深まっている。なるほど、数年前に食したときより美味しくなっているのが頷ける。当初のチキンだけで取っていたスープは、営業をしていた怪しいインド人(笑)が喜んでいた。懐かしい味がすると言っていたらしい。しかし、ビーフも加えたことで、そのインド人は食せなくなってしまった。(笑)(ヒンズー教はビーフを食べない。)現在スープカレーは、チキンといろいろ豆のスープカレー一つ。色々具を楽しんで欲しいという気持ちと式見シェフの好みが表れている。レンズ豆が好きなので、それに合うスープカレーを目指している。今の味はだいたい1年くらい経ち、ほぼ完成形。 ルーカレーも力を入れていて、それはしほろ牛を使ったビーフカレーがあるからだ。最初、オーソドックスな洋風カレーを最初出していたが、そのうちパイナップルを入れて酸味や甘みを加えたりした。しほろ牛を使って出汁ととっているというだけあり、そのコクはくどくなく美味しい。やはり日本人はビーフカレーっていうのが王道なのかも、としみじみ思ってしまう味だ。ベースのビーフカレーに加えて、洋食の経験を生かした、コロッケカレー、カツカレー、ハンバーグカレーと、スープカレーと対照的に肉中心のカレーだ。 そのルーカレーを使ったカレー弁当なるものも出していて、カレーをテイクアウトできる。カレー弁当は元々、2年ほど前に道の駅弁という企画の中で生まれた。なまら〜というネーミングは一本筋が通っている。牛肉(しほろ牛)をしっかり使ってアピールしていくことも念頭に置いて数種類考え出されたのが今の形だ。(参考:ピア21しほろの道の駅弁:現在6種類あり、そのうち4つがカレー弁当!!!) なまらハンバーグカレー弁当 また、現在タンドリービーフを開発中。しほろ牛とヨーグルトという地元のものを使っている。やりながら修正をかけている。 ハンバーガーもウリの一つで、パンは中札内の小原のものを使っている。十勝小麦を使い、そのあたりも十勝という地元の枠の中でできることをやっていってる。 デザートもかなり有名になったが、式見シェフの「営業戦略」があたっているところもあるだろう。勿論、美味しくなければ売れないのは当たり前なのだが、宣伝も大切だ。プリンは自家製で甘く美味しく色々な種類がある。ネーミングは親父ギャグ的で賛否両論(笑)だが、注目を集めるということでは成功している。 なまらクリームプリン そんなバナ〜ナ!プリン はいチ〜ズ!プリン なまら de カフェ・オ・レ プリン ここまでが、シリーズ的に出たものだ。そして、その後、 女王様のメープルプリン が出ている。これは式見シェフが本当に美味しいメープルシロップに出会って生まれた自慢のものだ。だから値段はちょっと張るが一番のお勧めデザート。また、流行の生キャラメルもこだわりのフレーズ「なまら」にひっかけて「生らキャラメル」としてしまうあたりは流石だ。 そんなバナナ!というフレーズを知らない人が結構いて、おじさんに初めて聞いたとまで言われたそうだ。実際、そういう形でお客さんの気を惹いているので、ある意味上手くいっていると思う。ネーミングや営業でどうやって気を惹くかということが大切で味は二の次、と謙遜する。しかし、それで美味しいのだから、気を惹いてリピーターになってもらえることが考えられるから、商品販売戦略としては上手くいっていると考えられる。メープルシロップは今まではホットケーキのものしか食べたことがなく、ある時本物を初めて食べたときにとても美味しく感動した。そして、それをどうにかして自社商品として使いたかった。メープルシュガーもあることがわかって、それも利用することを合わせて考えていた。ただ、問題は原価が高くつきそうだということ。ならば、付加価値をつけて高級感を出したい。ちょうどこれを考えているときは、同様な高級思考が世の中に流行っていて、いけそうだと思っていた。デザインの人に相談していたのだが、その商品の名前を提案されたとき「王様のプリン」はどう?と言われた。あまりピンと来なかったのだが、再度提案されたときに「女王様の〜」と現在のパッケージを提案されたのだった。それは式見シェフのセンスに訴えるものがあり、最終的に採用となり、09年5月に発売となったのだ。そう、発売1周年だ。おじさんは注文時に照れているし、女性にはいい意味で騒がれている。注目を集めているということで、好きで作ったものがあたっているという感触を得ている。なお、5月27日から6月2日まで札幌東急に雑誌社との共同企画でプリンを出店する予定。そのバイヤーはただ甘いだけのプリンではなく、美味しい。ケーキ屋のプリントはひと味違う、と太鼓判。 名刺が面白い。仏太の名刺もインパクトあると言われるが、式見シェフの名刺はソフトにインパクトがある。いただいた名刺は4種類のプリンが写真入りで載っていた。そう自社商品を宣伝するのを兼ねているというものだ。そして、それがカラーだから尚更インパクトが強い。名刺はその人や会社などを売り込む第一歩だから、インパクトがあるのは大切なことだろう。そうして、人付き合いが始まっていくと思う。色々な人と付き合うことで、色々な企画をすることで、世界が拡がる。式見シェフの仕事がシェフであり、業務次長であるというのがよくわかる。 今後の目標 新しいスタイルを作りたい。 最終的には独立したい。 海外に住みたい。 2011年の春にはバイキング形式でできないかと考えていると。しかも新しいスタイルを作りたい。メニューや内容で。アイディアが豊富で今後も楽しみだ。ちょっと恐る恐るカレーが残るが聞いてみた。少なくともしほろ牛を使っているメニューは止められないので、バイキングと並行となるか、バイキングに組み込むか、など具体的なことはまだ決めてないと。また、1週間かけて炊いたスープでカレーを作っているので、簡単に止められるものではなくなっている。 最終的には独立したい。ただ、ピア21しほろでやり残したこともあるので、やり遂げてからにしたい。それと、具体的なヴィジョンが見えてないという。場所や方向性など。現在やっていることは色々あって面白い。元々飽きっぽい性格だから色々あるのはいい。友達のシェフにも「そういうところが欠けている。」と指摘されたことあり。最近、心を入れ替え?努力している。 仕事は65才で辞めて、海外に住みたい。できたら、ヨーロッパ、それもイタリアの港町。海鮮ものがあり、美味しいものが食べれるから!(笑)常に食に向かって真剣であり、真摯なのだ。 |
参考サイト・ブログ 長崎県立式見小学校 長崎県立式見中学校 しほろ牛とは? 東急百貨店札幌店 |
修行場データ ピア21しほろ 士幌町士幌西2線147 01564-5-3940 http://www.netbeet.ne.jp/~pia21/index.htm 11:00-19:00 (LO18:30)(11月〜3月:-18:00(LO17:30)) 無休 (修行場・十勝「ピア21しほろ」参照。) |
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