乙華麗様です!〜サイト10周年記念企画

私をインドに連れてって!


11年2月ナマステー・木幡夫妻


木幡夫妻プロフィール
木幡直人(こはた なおと)
55才男性
・役職 オーナー
・血液型 O型
・出身 鹿追町
木幡由紀子(こはた ゆきこ)
62才女性
・役職 シェフ
・血液型 A型
・出身 広尾町




外観  
看板
全体  野菜カレー
 インドの水を飲んだものはインドに帰る、という言葉がある。(正確じゃないかもしれないが、そういう感じ。笑)それは、一度インドに行った人はインドにとりつかれて、何度も足を運ぶということだ。実際に仏太の友達や知り合いで何人かインドに行ったことがある人がいるが、そのほとんどがリピーターだ。もしくは、また行きたいと言っている。仏太自身はトランジット(乗り換え)で1泊しただけなので、実際はインドに旅行に行ったことがあるわけではない。ましてや仕事でも行ったことはない。興味はとてもある。カレーの聖地?だから。
 当然、カレー修行場の人達にもインドに行ったことがある人達はいるし、中には繰り返し行っている人もいる。今回はそんな御夫婦が主役だ。ナマステーマスターママさんはインド好きで何度か行っている。そのために?お休みすることもあるくらいだし。

店名看板  たぬき
 最初、1986年12月に西5条南19丁目にナマステーを開いた。現在は美容室となっているところだ。(現在の)ポスフールのすぐ隣だった。ポスフールの現在の立体駐車場は当時大谷短大があった。(現在の大谷短大は音更町に移転。)そこの学生や先生がよく来ていた。修行者は他に畜大生が多かった。当時の大谷短大に厳しい先生がいて、5年経ってやっと美味しいと褒められたのもいい思い出だ。商売としてやるのに、一番大変なのは同じ味を出すことだと、しみじみと語ってくださった。以前は仕事があったから卒後そのまま残る人も結構いたが、最近は卒業したら地元(内地)に戻る人が多くなった。それはとても残念なことだと。
  中2
 以前のある常連さんは最近来るときに子供を一緒に連れてくる。しかし、その子はインデアン家庭で食すカレーが「カレー」というものになっていて、インド風やスープカレーは言語道断の勢いだった。ナマステーは親(その常連さん)が好きで連れてきてくれた。キーマカレーを食してその子はとても美味しく感じたようだった。そして、その後ナマステーに行きたいときには、その子は「父さん、肉食べに行こう!」と必ず言うようになったと。カレーという意味ではそれだけ、インデアンの影響がでかいというのがわかるエピソードだ。(笑)でも、キーマってひき肉のことだから、その子も間違ってはいないだろう。キーマカレーを食したいという希望が出てくるのはいいことだ。
フェンネル(カラー) フェンネル
 1987年5月にスパイスガーデンがオープンして、帯広で2番目のスリランカ系カレー専門修行場だった。ということは、ナマステーが帯広初の修行場(インド・スリランカ系の)ということになるのだ。帯広のカレーを語る上で、必ず必要な部分なのだ。やはりここでもインデアンが話題になるが、その壁の大きさはとてつもなく、それでもここまで続けて来れたのはやはり実力がある(美味しい)からだろう。
 一度移転して西2条南23丁目でやっていたが、マスターの体調不良と更にもう一度の移転で1年ほど休んだ。この2回目の移転の時に元々普通の住居だったところを新築して現在のところが2003年8月14日にオープンした。

 仕事は完全に分業して、マスターは飲み物、ママは食べ物(カレー)を担当している。それはお二人の経歴を振り返ってみるとなるほどと思うことだった。
コーヒーメーカー  コーヒー
チャイ  マスター鹿追出身。高校から帯広に出てきた。高校卒業後、12年ほど東京にいた。当初は今でいうフリーターだったが、仕事関係で海外に出ることもあった。色々な仕事をしたのだが、建設関係の仕事をしていたときには、計2年以上イスラム圏にいたこともある。最初は1年半くらいイラクにいて、次は1年くらいアルジェリア。イラクではバスラという都市でシェラトンホテルを造るのに携わった。その時、マスターはコーランを持っていったが読まなかった。でも、イスラムの教えは社会の中に根付いていて話をすればわかったそうだ。アルジェリアでは天然ガス系の建物を建てていた。アルジェリアの公用語はフランス語で、覚え立てでパリに行って張り切ってフランス語を使ったら、お前のはアルジェリア訛りだと言われ、がっかりしたことがあると。(笑)英語なんかもアジア各国はそれぞれの国の訛りがあるし、インドもひどいと言えばひどい。(笑)インド人は自分が話す英語はKing's Englishだと言い張るようだが、端で聞いているとほど遠く「インド訛り」がある。まあ、これは馬鹿にしているわけではなく、自慢げに言っていても同じようなものだよ、ってこと。12年の東京暮らし(一部海外)の後、鹿追に戻り、喫茶店を開いた。そこで鍛えたのだから、実はナマステーの飲み物は美味しい。こだわりがあるから尚更だ。ナマステー信者の人は是非ダッチコーヒーを一度飲んでみてと強く勧めてくれたが、かなり美味しいのだろうな。(仏太はまだ未経験。)その後、飲んだが、やはり美味しかった!
 ママ広尾出身。帯広で長い間会社勤めをしていた。その後、趣味が高じて、札幌でヨガの教室の先生の助手をしていた。しかし、その時はそれだけでは全然食べていけなかった。そんな時、タージマハール(札幌のインド料理店)に食べに行った。ちょうどタージマハール北2条店がオープンするときでバイトをしないかと誘われて、稼ぎに困っていたこともあり、約1年手伝った。タージマハールにいたコックのクマールさんと知り合った。クマールさんは、インドで料理学校を出てて一番料理が上手。他の雇われコックとは手つきが違っていた。この人が一番料理をするのを見ていてわかりやすい人だった。そんな人からママはカレー、インド料理のレシピを学んだ。主にまかないを教えてもらったところから始まる。ママは本来皿洗い、ウェートレスとして雇われたのだが、まかないを教えてもらい、実際に作っていた。クマールさんはママにやらせることで自分は楽をしていたみたいだ。(笑)そのうちに、インドに帰ってしまったが、今でもママがインドに行くと会うという。深い付き合いだなあ。前は立派なホテルに勤めていたが、最近はあまり仕事しているように見えなかったと。聞いたら、息子が働いているからいいんだ、と。(笑)
 ちなみに、タージマハールは現在、北2条、ファクトリー、西岡などにあるが、今はサハリンやニセコにも出している。知らなかったなあ。社長はインド人。

ターリー1 ターリー2
 ママはヨガで食べられないので、帯広に戻ってきたときに、どうしようか迷っていた。そんなときに、交流が続いていたタージマハールの社長さんが、帯広か釧路でタージマハールの支店を出さないかと誘ってくれたりもした。最終的に、ママは86年にナマステーを開いた。そして、そこにマスターが修行者(お客さん)として通うようになって知り合い、お付き合いが始まった。(ひゅーひゅー!笑)で、88年にご結婚。89年にお二人が好きなインドに1ヶ月ほど旅行。それが新婚旅行なのかな?インドの北の方の砂漠方面を重点的に旅行したそうだ。インド旅行はそれが初めてではなかった。ママは1978年に初めてインドに行った。ちなみに、マスターは1980年5月終わりに行ったのが初めて。一番暑い時期で、暑いのが苦手だったマスターは逃げるようにネパール・カトマンドゥに行った、と。その後、マスターは鹿追で喫茶店をやっていた。

エビカレー1 ひき肉のカレー2
 お世話になったタージマハールの社長が、インデアンを食すためだけに十勝に来たことがある。TVの北海道カレーのランキングでインデアンが2位になったからだった。(ちなみにその時の1位は札幌のアジャンタ。)インデアンを食しに来ただけでなく、きっとナマステーのことを心配してくれたのもあるのだろうと思うが。そのインデアンはマスターも高校の時に食していた。

チキンカレー1
 マスターはインドで、儲かってないしょ!?と言われた。それは太ってないからで、インド人には金持ちは太っている(腹が出ている)という考えがまかり通っている。食事に油が多かったり、食べてすぐ寝るという習慣で太るのではないかとマスターとママは推測していた。実際、インド人は朝食、昼食はあっさりと食べ、夕食を遅い時間にたくさん食べることが多いという。う〜〜ん、なんとなくそれだけ聞くと不健康。(笑)そして、食事をしっかりできるのはやはりお金持ちということになるのだろう。栄養失調でもお腹が出ることがあるが、それとは全然違う不健康だ。(苦笑)


青山さんの本  十勝にサイババの会というのがあり、それに何度か参加したことがあるという。会合は神をたたえる歌を歌ったり、瞑想したりすることだった。十勝プラザで月に1回催されていた。(現在あるのかどうかは知らないという。)サイババに会いにいってから、十勝のサイババの会に行った。(要するに、順序として、先にサイババに会っている。)何故サイババに会いにいきたかったかというと、ママの尊敬する青山圭英の本を読んだからだ。1995年にママは実際にサイババに会ってきた。その時がサイババ生誕70年で、ちょっと見たいな、とママが一人でインドに行ってしまった。マスターは健康上の理由から行かなかったみたいだ。実際に見たとき、ママの感想は、背が低くて腹が出ている、だった。しかし、あの人の眼は凄い!と。
 そんなママもマスターも無宗教で、神にのめり込むのはどうかと思っている。自分だったら凄く熱心にはなれない、しかし、のめり込んだら楽なんだろうな、と思ったそうだ。マスターは、イラクでは生活の中に宗教(イスラム教)がすっかり入り込んでいる印象を受けたと。無宗教でも、神はいると思う。が、キリスト教徒やイスラム教徒のようにはできないと。
 ヒンズー教は本来、インド生まれインド育ちでないとならないという思想が深く残っていた。でも、そういうヒンズー至上主義がマハトマガンジーを殺したと言われている。また、元々そのところにヒンズー寺院があったので、イスラム寺院を壊して新たにヒンズーの寺を建ててしまったこともある。その点、イスラム教徒はそのうち全てがイスラムに来る、と言って来るもの拒まず的な思想があるそうだ。大きな宗教として一番最後(紀元後)にできたので、それが最高だとも言うようだ。(詳細は知らないので、詳しく知りたい人は調べてね。)

キーマカレー  チキンカレー
ターリ2  ターリ3
 最初、ナマステーを開いたときにはインドカレー4つのみのメニューだった。それは現在もメニューの1ページ目に載っているものだ。ガラムマサラなどで辛さを調節し、玉ネギの甘みでコクや旨味も出している。玉ネギは仕込みの時は一度に10kgくらいさばく。今年(2010年)の玉ネギは小ぶりで大変だと。他にヨーグルト、しょうが、ニンニクなどを使い味を調整している。9月からは有機玉ねぎを使っている。
肉団子と野菜のスープカレー3 エビホタテ野菜スープカレー2'  現在のところに移転する前後(7年くらい前)で、ちょうどスープカレーブームがあった。その時によく修行者に「スープカレーやってないの?」と聞かれた。そう言われるのが憎たらしくて(笑)やることにした。しかし、誰かに教わったわけではない。自分で食べ歩いて研究したのだ。札幌のスープカレー修行場に行き、それを参考にスープカレーを始めた。ある有名スープカレーはコクがないと思い、スリランカ狂我国に行ってみようと思った。しかし、既にその時は人が変わっているよ、と言われて、アジアンスパイスに行った。以前スリランカ狂我国をやっていたオーナーさんと話をする機会に恵まれ、カレーを教えたカトマンドゥに行ってみてよ、と言われたという。それで、その後もカトマンドゥが以前の場所(国道の北)にあったときに何度か行ってカレーを食したことがある。(実際は、先にカトマンドゥに行って、その後スリランカ狂我国を知ってそこへ行っている。)スープカレーは大きい具がごろんごろんとしているのは好きではないと、現在の形も具の大きさが食しやすいサイズになっている。コンセプトとしては、具とスープが一体になっていることなんだそうだ。それが今のナマステーのスタイルとなっている。イメージとしてはラーメンの世界みたいだと思っていたそうだ。最初は軽い気持ちで考えていたが、実はやっていくうちに大変だということがわかった。スープは丸鶏と野菜を10時間煮込んで作る。ふとしたことがきっかけで隠し味を発見することができて、現在のスープカレーの原型ができあがった。改良を重ねて、自分たちで美味しいと思ったらメニューにした。たいていどのメニューも自分たちが美味しいと思ったら、試作から本メニューに昇格だ。
 4年前の20周年の時に記念スープカレーを出した。十勝の食材を使おうと意識して、長芋とオクラと納豆を使ったスープカレー、イモ団子であるコフタというインド料理を出したのだ。特に長芋はすったものをさっと揚げるという手法をとり、これが結構難しかった。その分、非常に美味しいものとなった。話を聞いて食したくなった。しかし、当時はそれほど数が出なかったし、限定だったから、現在はメニューにはないという。その後も限定ものはあり、最近は夏にチキンを出した。夏だけにしたのは、野菜にこだわりがあったからで、自家菜園で採れた野菜を一緒に出すからだったのだ。自家菜園の野菜はやはり時期が決まってくる。夏期限定で始めたが、人気があり、今後は年中出す可能性がある。
チキン野菜スープカレー2  チキン野菜スープカレー2
 スープは鶏を煮立てて、洗って脂を取る。(チキンカレーのチキンも皮とその下の脂を取ってスパイスとヨーグルトにつけ込む。)テレビでラーメンのことをやっていたときにも同じことを言っていて、やはりこれが本当なんだな、と確信して今も手を抜かず丁寧な仕事をしている。それでチキン通の人達をうならせている。
 玉ネギは9月から3,4月までは有機物。本当はオールシーズンやりたかったが難しい。腐るのも早いからだ。野菜輸入物は使わない。中国は農薬が多い。増えている。だから、絶対使わない。インドも農薬が多い。使い方がわかってない。説明書きがあっても字が読めない。売っている人も説明しないから、適当に多く入れてしまう。しかも、使う人はマスクもしないし、防御できる服も着ない。だから、癌が蔓延している。インドは癌が少ないと言うことで世界的に注目を浴びているところではあったのだが。(ただ、これは人口が多いから比率として少ないという考えもある。)
 以前使った農薬を畑から抜くのに3年はかかると言われる。日本で、有機だという国の認証を受けるのはかなり大変。畑を休ませて、農薬を抜かないとならないからだ。やはり健康のことを考えているので、農薬についてもよく調べてらっしゃる。ママ野菜を茹でたらそのお湯で農薬がだいたいどのくらい使われているかわかるという。ナマステーを1年休んでいたときに樹生園に勤めていた。その時の経験が活かされ、それから農薬が使われているかどうかがわかるようになった。ちなみに、十勝の中にも農薬を結構使っている農家があるという。比較的旭川の方が農薬使用量が少ないという。

ナン
 ナンタージマハールから仕入れている。これはママの強いコネがものを言っている。(笑)大雑把に言って、インドはヨーグルト、南インドはヨーグルトとココナッツミルクの文化。ナンは生地にヨーグルトを入れて練ってちょっとおく。そうすることで少し発酵する。すなわち、ナンはどちらかというと北インドで食されている。札幌ではタンドールがあちこちにあり、よく見たが、店で作ってそれを買うというスタイルが広まっているみたいだ。(テイクアウトの店)携帯タイプ、ポータブルタイプのタンドールを日本にいるネパール人が代理店として扱っている。二重構造になっていて外側を触るだけでは熱くない。一度ナマステーに売り込みに来たが、それほどの有用性を感じなくて購入をしなかったそうだ。(珈琲豆を焼くのでできない。)
チャパティ
 ナンよりも一般的と言われるチャパティは各家庭で簡単に作られているようだ。ママもチャパティは自分で作っている。インドでの経験でアタという種類の全粒粉が一番というこだわりがあり、それが手に入ったときには提供している。他のものでも作れるのだがやはり美味しいものを食べてもらいたいという気持ちからこだわってやっているのだ。
サフランライス  チキン野菜スープカレー1
 時々、手に入るとライスも高級なものを使うことがある。ただ、それが修行者に提供されるのはパーティーなど極限られたときだ。日本にいるとなかなか世界的な米を知る機会が少ないのだが、インドではやはりインディカ米が主流だ。1993年に米不足となり、緊急でタイ米を輸入した話を覚えている人も多いだろう。タイ米はインディカ米の一種だ。あれは不評だったのだが、あれが美味しいという人達もいるし、世界的にはインディカ米が主流だ。そして、インドでも高級米と言われる、バスマティ米をナマステーで使うことがあるのだ。そう簡単に手に入るものではないので、タイミングが合わないと食せない。
バスマット米
 バスマティ米はパエリアにもいい、とママは言う。以前、清川でレストランをしていたスペイン人の知り合いの方は奥さんが日本人。タイの香り米でパエリアを作ってくれたことがある。それがたいそう美味かったそうで、ママにとって最高のパエリア。パエリアは本来野外で男が作るものだそうだ。その方は現在札幌の円山でスペイン料理店エル・シッドを開いている。そこのワインはスペインから輸入しているそうだ。
 さて、話をナマステーに戻そう。(笑)
 以前にサフランミルクというものをやっていたことがあるそうだ。チャイはスパイスを煮出した紅茶というイメージだが、サフランミルクはサフランを混ぜたミルクのことか?これも煮出すのだろうか?作り方を聞くのを忘れてしまった。むしろ、そのあとスパイス談義になり、そちらに夢中になってしまったのだ。
 サフランの主な産地はスペインか中国。日本では大分で作られているのがその筋では有名。しかし、大分のはほとんど薬として使われるので、食卓に上ることは少ないようだ。スペインはラマンチャ地方で作られるが、かなり多くは中国で消費されると言われる。サフランは元々高いスパイスなのだが、最近更に値段が高騰して、一時の倍以上となっている。世界的にスパイスの値段は全体的に上がっていて、一時安くなったこともあったが、値上がりにより、カレー業界にとっては大きな痛手なのだ。
 ホールスパイスは虫がつくことがある。インド人は必ずスパイスを焼いたり炒めたりする。だから、虫がいても死ぬと言って無視する。(あ、オヤジギャグ。笑)ママのお気に入りはブラックカルダモン。高くて、日本では手に入らない。だから、インドに行ったときには必ず買うし、時々ネパールに行く知り合いに買ってきてもらうこともある。インドで買ったスパイスは粗く今一に感じる。日本のメーカーのは細かい。日本の技術は凄いと改めて感心したそうだ。

本棚  ナマステーの中にある本棚に本が沢山あり、インド関係のものの他に、スピリチュアルなもの、宇宙のこと、神のこと、マヤ文明、2012年12月のことなど、神秘的なものや精神的なものもけっこうある。以前、修行者(お客さん)がどんと持ってきてくれたものも沢山あると。ママはそのあたりはとても興味があるそうだ。やはりヨガも精神的なところだから、そこから関係しているのだろう。先ほど話題に上った青山圭英の本もこの本棚にある。

 ママは何度もインドに行っているが、勿論全部を回りきれるわけではない。ムンバイ、ラジャスタンなどは行ったが、カシミール、シッキム、アッサムなどは行ってない。この前旅行したインドのマイソール本格的なアシュタンガヨガの聖地。世界中のヨガの指導者が2〜3年に一度はやってくるという。ママはそんな聖地に足を踏み入れるのは初めて。
ヨガ
 ヨガは解脱するためのもので、禅の修行みたいなものだ。健康な精神を鍛え上げる。そして、健康な体と密接な関係があるから、当然のようにアーユルヴェーダと関係が深い。アーユルヴェーダの発祥はケララ地方だが、マイソールにアーユルヴェーダの大学がある。まあ、言ってみればアーユルヴェーダは健康のことを扱う伝承医学だ。ママはその大学に本気で入学したいと思っていたが、語学が問題だった。お金はなんとかなりそうだったが、なにせ言葉がわからない。それでも一度知り合いのロシア人と日本人の友達と一緒に見学に行った。併設されている治療院(医科大学の病院みたいなものだろう。)もあった。一度体験してみようと考え、そこではなくマイソールにある近くのアーユルヴェーダの治療院で、実際に治療を受けた。ママは立ち仕事のためか膝が悪く、最初にドクターと話したときにそのことを伝えた。その後、ハーブなどが処方され(薬として飲む。)、マッサージなど施術がなされる。コースは1日コース、1週間コース、3週間コースなど色々ある。値段は物価を考えると高いようだが、日本円に換算するとそうでもない。3日間オイルマッサージやハーブパッティングといって体中にハーブを貼るということをしたりした。マッサージは体の悪いものを取り除くのが目的なので、日本の温泉とかでマッサージ師を呼んでするようなものとは違い、気持ちがいいそうだ。薬も飲んでいるとなんとなく体の悪いものが抜けていく感じがした。1週間のコースで終わったときには体中の痛みがなくなり、膝の調子もよくなった。帰ってきて最近また調子悪いけどね、と笑うママ。
チキンティッカ サモサなど
 ママは好きなインドの話になると、止まらなくなる。色々教えて下さった。
 インドは洲ごとに法律があり、USAのように、合衆国状態になっている。公用語も沢山ある。インド人はイギリス領であったために、共通の準公用語が英語なのだが、しゃべれない人達も沢山いる。しゃべれる人の多くはKing's English (Queen's English)を話していると思っている。それを自慢げに話す人さえいる。しかし、実際はインド訛りが付いていることが大多数。自分至上主義的なところはB型が圧倒的に多いインド人らしいところでもある。ちなみに、日本はA型が一番多く、世界的にはO型が一番多い。
パパド ムングダールのスープ
サラダ ライタ
 インド人はオリンピックで金メダルを取ったことがない。そういう本も出ているくらい。個人主義で絶対謝らない。インド人の懲りない性格。チームプレーということができない性格なのだろう。が、クリケットは大人気。イギリスの影響だろう。数億円を稼ぐスーパースター・プロ選手もいる。ママが住んでいたところの裏に空き地があり、夕方はみんなクリケットに興じていた。見ていたがルールはよくわからない。ボールは思っていたより柔らかい印象。クリケットは野球のルーツとも言われるので、人気のスポーツなんだろうな、と思うが、仏太もよく知らない。個人スポーツはどうなのかと思ったら、ちょうどそのことを教えてくれた。テニス女子で最近インド人プロが出てきた。そのユニフォーム(?)は肌を出していることでインド国内でかなりの物議を醸し出している。ヒンズーの教えでは女性は肌の露出を控えるようだ。(イスラムほどではないのだろうが。)サリーは腹と背中を出しているのに・・・。(笑)そういえば、ママの服装はインドっぽいことが多い。現地で買ってきたものもあるが、日本で揃えたものもある。以前はインドでオーダーメイドで作ってくれたものを来ていたが、適当に作られたものもあり、すぐほつれたそうだ。(笑)
サモサ1 サモサ2

 今インドは国民会議派のシン首相だが、国民会議派はネール首相から世襲が続いていて、ネール首相の後、娘のインデラ・ガンジー首相(暗殺される)、そして、息子のラジプト・ガンジー首相(暗殺される)、その後、しばらく国民会議派は政権を取れずヒンズー至上主義派のバジパイという人が首相だったが、何年か前(10年は経ってない)国民会議派が政権を奪還した。党首はラジプト・ガンジーの奥さんソニヤ・ガンジーだが、彼女はイタリア人で、元々ヒンズー教でもなかったので、首相を辞退しシン氏に譲った。そのことでインド人の心を揺さぶり人気者になり映画にもなった。今も彼女は党首だが、最近シン首相の周りで取りざたされる問題で国民会議派も危ないかも・・・。しかし、彼女の息子が議員をしていて、大変な人気らしく、次はこの人が首相になるかもしれない。このようなことを知っているくらいママはインド通になっている!

アンプ
 マスター、丁寧にテーブルや椅子を拭いている。この丁寧な拭き方は他ではあまり見ないと思い、見入ってしまった。熱心に精を出す姿はどんなことをするにも共通する姿勢と思われた。
スピーカー1 スピーカー2  流れている音楽はインド音楽っぽい。ジャズも修行者(お客さん)の影響で聞くようになったと。実際は10年前くらいまでマスターはフォークギターをしていて、フォークを聞くことが多かった。日本のシンガーソングライターやボブディランなど。人の影響で他にも色々と聞いたようだ。そのため、音にはうるさく、真空管アンプなど昔のものがいいと嬉しそうに話すマスター。スピーカーの箱は特に最近のものより昔のものの方がいいものが多いと。だから、箱だけ欲しいと言ってくる人もいるという。以前は、札幌に行くたびに、狸小路や4プラに行きレコードを買っていたと。CDに代わったのが87年だからね、とはっきりした数字で言えるのも音楽が好きだからこそだろう。
 マスター晩酌をするし煙草を吸う。ビールは中瓶3本、焼酎1〜2合と言うが、ママはそんなんで済むわけないしょという顔をしている。(笑)ママは昔飲んでいたが、現在は全然。ヨガで禁止されているからか全く受け付けない。インドにはアルコール度数が10%以上のビールがある。凄く濃い。今まで一番有名だったビールは。Golden Eagle。しかし、時代は移り変わる。以前と違ってKing Fischerがインド中で大人気になってる。ナマステーでもKing Fisherは4,5年前まで置いていたのだが、割に合わないと止めてしまった。ちょうど飲酒運転がうるさくなったときにそんな傾向が出て、もう今では置いてないのが普通になってしまった。

今後の目標は?
 もう先は長くないからね、と笑ってはぐらかされた。ママはお金があればまたインドに行きたい、とマスターの顔をちらっと覗いていた。(笑)
 そのうち南インド料理もやってみたいと。今回旅行で行ったのは南インド方面。ヨガを教えてもらっていたところの近くに料理学校があって教えてもらってきた。それで、南インド料理をメニューに加えたいのだ。特にマサラドーサをやってみたいのだが、なかなか上手くできず、まだ試作段階で止まっている。焼いたらパリッとならないのが不満で意外と大変だということがわかったそうだ。
 南インドにはサンバとかラッサムというスープがあり、それらはカレー味もある。豆のカレーはドロッとしている。南インド方面はスープタイプのカレーがあるのかと思っていたら、そういうわけではないようだ。やはりスープカレーという名前を考えた人がやっているところはインドネシアのソトアヤムが基本になっていると言われている通りのようだ。豆カレーは最初メニューとして出していたが、あまり出なくて止めた。
ビーツのサブジ  南にベジタリアンが多い。だからだろう、サブジは南でよくある。前のパーティーで出してくれたビーツのサブジは南インドで学んできた。南インドにはビーツは沢山ある。こちらに帰ってきて芽室の愛菜屋に行ったときに食用ビーツを見つけ購入した。ママにビーツのサブジが美味しかったと伝えるとにやりと笑って嬉しそう。
 ママの実力をいかんなく発揮していただくためにも修行者(客)もインド料理への造詣を深めて、お互いに楽しめたらいいな





参考サイト・ブログ
青山圭秀公式サイト
サフランミルク(Spice of Life)
サフランミルク(おひさまのしずく)
ソニア・ガンディー(Wikipedia)
ラジーヴ・ガンディー(Wikipedia)





修行場データ
ナマステー
帯広市西6条南27丁目4-3
0155-22-7715
11:30-15:00, 17:00-21:00
火曜、第3月曜定休
修行場・十勝「ナマステー」参照。)





10周年記念企画トップ
09年7月WAMUW・根本隆志シェフ
09年8月Shambhara天竺・中山一郎マスター
09年9月Easy Diner・立石貴裕店長
09年10月ふじや・加藤美華オーナー
09年11月インデアン音更店・遠藤和恵さん
09年12月タイランド・相澤和正オーナー
10年1月ろそろそ・野左掛兄弟
10年2月SAMA帯広店・河村哲裕オーナー
10年3月そん徳・小内勝敏マスター
10年4月カトマンドゥ・奈良一彦マスター
10年5月ピア21しほろ・式見貴光シェフ
10年6月潮華・早坂信美マスター
11年2月ナマステー・木幡夫妻
11年12月カレーリーフ・相馬鎮徹オーナー

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修行場へとぶ 仏太のカレー修行・北海道での記録。修行場はたくさんあるけど、好みのところを探してみてね。(まだ編集中。じかんかかる・・・)データの値段は、特に最近(08年5月)上がってる可能性が高い。(主に)仏太が行ったときのものを記載してるので注意。
リンクへとぶ カレー関係のリンクや仏太の知り合いのSite、お気に入りのSiteなど。
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仏太のカレー話へとぶ スパイスを学ぼう仏太のレシピコラム de 仏太カレー物語武者修行荒修行など、独立した仏太の別世界。旅行などで遠征したときの武者修行と荒修行。
仏太のカレー修行Light なるべく軽くして携帯でも見れるように心がけたもの。(07年11月以前のサイト)