乙華麗様です!〜サイト10周年記念企画

殴られ我慢の男の類なき探求心


10年6月潮華・早坂信美マスター


早坂信美マスタープロフィール
早坂信美(はやさか のぶみ)
48才男性
・役職 オーナーシェフ
・血液型 AB型
・出身 帯広市




外観1 
外観1
中1 中2
外観2  早坂信美マスターと話し始めると、見た目同様に若い声が出てきた。が、年齢を聞いて吃驚!!!え?結構いってる・・・。笑いながら、若く見られるよと、以前のことも教えてくださった。高校の時、童顔で、友達に中学生みたいだなって言われたことがある。その高校から進学するときに急に料理人になることを思い立った。しかし、話を聞くとその素地は以前からあったようだ。
 早坂マスターのお父さんは自分で魚をさばき、そばや寿司も作るそうだ。仕事が料理人というわけではないのだが、好きこそものの上手なれと言うとおり、御自分で作ってしまう方だったのだ。食い道楽でたまに外食に連れて行ってくれた。早坂マスター幼稚園の時に既に味のことを文句たれていたようだ。お父さんの真似をしていたらしい。(笑)そんなに言うなら自分で作れば、と言われたこともあると。


鯛のカルパッチョ

きんき1  きんき2
 だから、早坂マスターが料理人になるのは運命だったのかも知れない。高校を卒業して、大阪の辻学園日本調理師学校に入った。入学したときに思っていたのはフランス料理をやりたいということだった。最初はどの料理という選択はなく、後に専攻科を決める。決める頃になって友人フランスにコネで留学できるからみたいな嫌みな言い方をされて、この野郎と思いフレンチを志すのは辞めた。(笑)その頃、食べていて中華が美味い!と思ったので中国料理を専攻することに。ちなみに、そのコネでフランス留学した友達はその後の消息がわからないそうだ。(笑)また、現在マスターの美味しい中華を食べることができるのだから、その御友人に感謝したい。(笑)
ハム  水餃子

 調理師学校を卒業後、19才から25才までは四川料理を修業した。最初に、門を叩いたのは厳しい修業で知られる重慶飯店横浜中華街)。学校に募集が来ていたので行ってみた。すると最初本館という話だったのが、修業するなら新館へ行けということになり、早坂マスターの思い出いっぱいの修業がスタートしたのだった。本館は小さいので修業に向かないということで、新しくできた新館へ行ったのだった。
 数ヶ月は休みなしで朝9時から夜中27時くらいまで働き続けた。先輩が仕込みをしていると帰れなかった。1分でも先に入ったものが先輩という世界で、先輩の言うことは絶対だった。訳もわからずいきなり殴られることもあり、包丁や熱いままの鍋を投げる先輩もいた。蹴られるのは日常茶飯事で、後でしめられるという光景も見てきた。どこの世界も上下関係というのはあるのだろうが、技術的なことは知識と違って経験しないとならないから、(一般的には)やはりその分先にやっている先輩にはかなわないのだろう。また、全員ではないが中国人が働いていた。中国語も飛び交うが、中国人は皆日本語ができた。マスターは今でも中国語の発音が綺麗なのはこの時の経験が活きているのだろう。

ハチノス  蕗味噌
 だいたいの修業コース、順は、以下の通り。皿洗い(雑用も)〜皿洗いの頭(点心係も兼ねる)〜鍋洗い(スープ、調味料作り兼ねる)〜オーダー取り(乾燥ふかひれ姿煮用煮込み用スープ用の戻し掃除、薬味切り、肉、海産物の下味付け兼ねる)〜揚げ物〜板(材料の切り込み、乾物の戻し、仕入れ)〜前菜〜脇鍋〜鍋。
 早坂マスターも例にもれず、皿洗い、見習いからスタート。立ちっぱなしで仕事を続けるのは辛い。いくら若いとはいっても、我慢できる人とできない人が出てくるのは当たり前だろう。同期で入った13人はこの時点で、人数が約半分に減る。洗い場の頭になる。点心も担当。鍋洗い。4〜5人で洗う。中華鍋はバンバン使うのでかなり量がある。そして、鍋洗いをしながら、調味料を作る。豆板醤だったりティエンメンジャンだったり。また、スープは上湯、清湯などを作った。3年くらいでこのあたりの一人前となり、自称「殴られ我慢の男」(笑)早坂マスターは、更に上を目指すようになっていた。また、当然下に後輩がついてくる。が、マスターは自分が殴られて嫌な思いをしているから、後輩に手を出してたりはしなかった。流石だ。そして、入社3年後には同期がみんな辞めて一人になってしまったオーダー取りは伝票、皿や材料などを料理人のところへ届けることもする。ふかひれ料理の仕込みも大変。煮込んだり皮を剥いたり、それ自体が大変。付け加えて、薬味切りなども同時にするから大変。3〜4年で揚げ物担当になる。鍋さんとなるのに8年ほど。最初はまかない料理を親方に認めてもらわないとならない。朝のまかないはまだ若い者が作り、昼は中堅どころ、夜は職人さんが作る。まかないは最初親方に食べてもらえなかった。8年目になり、やっと認めてもらってを振るようになった。お話をうかがっていると、出世が早いのではないかと思った。早坂マスターは「いやあ、人がいなかったから。」と謙遜する。しかし、それは違うな、マスターの実力があるからこそだな、と話を聞いている側としては思った。そんなマスターの得意の一つは麻婆豆腐。重慶飯店で修業した人達は、どこに行っても麻婆豆腐は美味いと言われる。
ピータン エビサラダ
 同期が13人いたが、厳しくて次々辞めていった。殴られ慣れた(?)早坂マスターだけが最終的に残った。そんな最初の修業、重慶飯店(横浜中華街)の後は、目黒雅叙園支店 鵠沼雅叙園(湘南)で更に四川料理を極めることになった。そして、横浜中華街に戻り、耀来酒家広東料理を学んだ。ここまでで18年間も修業をしている。料理の世界は厳しく大変なものだ。
シュウマイ エビ蒸し餃子
 耀来酒家での3年半は早坂マスターにとって、その後の人生を形作る期間となった。勿論その時はそうとは考えてなかったのだろうが。広東料理とはいえ、中国本土のものというよりは、主に香港料理でイギリス風のものもあった。洋食は作るのも食べるのも好き。食べ歩きもしていた。(和食も洋食も。)現在、潮華の料理に「?え、これって中華?それともタイ料理?」と思うものもあるだろう。それらはこの時に学んだ可能性がある。食べ物だけでなく、飲み物でワインを置いているのも洋食関係が絡んでいたり、マスターの食べ歩きが元になっている。
 この広東料理修業時代に、タイ料理と出会うことになる。不法入国していたタイ人女性を相手に弁当を売っていたタイ人と知り合い、その弁当を作る厨房として部屋を貸した。面白そうだったので、そのときに色々とタイ料理について教えてもらった。ドリアンなどで大家さんから苦情が来たこともあったそうだ。(笑)マスターの探求心は底がなく、更にタイ料理も極めたいと、深夜にホテル系タイ料理レストランでも修業した。とにかく学びたい一心で、給料はなくて構わないということで週2〜3回夜に入らせてもらったそうだ。こうして、家庭・屋台系とホテル系のタイ料理も身につけて、早坂マスターの現在の素地ができあがっていくのだった。

ヤムウンセン  エビチリ
 意外と知られてないかもしれないが、中国タイは国境を接している。仏太は15年ほど前に中国に旅行にいったことがある。その時は、雲南省に2週間くらいと北京に2週間くらいいた。その前後香港に数日ずつ滞在した。千歳〜成田〜香港のチケットを札幌で買って、香港(その当時はイギリス領)から中国本土のチケットは香港で手配したのだ。雲南省は省都昆明からバスで24時間かかってタイの国境近くの村(四双版納)までいった。少数民族が豊富な雲南省はまた別の面白さに触れることができた。雲南省は少数民族の宝庫。数十民族が暮らしている。一番多い民族は1000万人いるそうだ。そんなにいて少数民族だから中国の規模の大きさが知れる。まあ大多数の漢民族が12億以上いるらしいからしょうがないのか。その少数民族の中にはタイ族がいて、その当時の仏太はよくわかってなかったが、今はタイととても関係があるということがわかる。元々、中国のタイ族がタイに渡り国を作っている、タイの教科書にはタイ族の祖先は揚子江南部から雲南省〜現在のタイ王国の場所へから来たと書かれている、と早坂マスターが教えてくださった。今回お話を聞いていて、仏太が中国旅行した前半部分とかぶるところが多々あり、非常に興味深く聞かせていただいた。そういえば、仏太が中国旅行に行ったときに、香港で泊まったホテルが重慶飯店というところだった!中国語で飯店はホテルのこと。ちなみに手紙はトイレットペーパーのことで、同じ漢字でも意味が違って面白い。

酸辛麺1 酸辛麺3
 タイは色々な国から攻められたり(タイは周辺国では唯一侵略を受けてない国)、交流したりして、文化的にも影響を受けている。料理も例外ではなく、インド料理、ステーキ、パスタなど色々と入ってきている。どんな料理でも、その場で作るのが一番。タイ料理人がそう言っていた。ココナッツ系は尚更なんだそうだ。
 早坂マスターは今までタイに5〜6回行ってる。だいたい田舎の方に行くそうだ。タイの仏像に金箔を貼るのを見てけばけばした色をなんだか懐かしいと思ったそうだ。きっと前世もしくは過去世に関係があるのかも。そんなマスターだからこそ、現地で得たタイの地元の知識というのは深い。
 タイは華僑が多い。タイ料理レストランに勤めているときに、一時腕のいい香港人を呼んで、中華と混じった料理を提供していたことがある。相手は金持ちの華僑。最近はタイ人でもIT関係を中心に金持ちが増えてきたが、まだまだ一般庶民が手の出るところではない。ホテル系だとトムヤムクンもミルクを入れて高級感を出している。屋台料理では当たり前でも、ホテルになるとナンプラーは臭いと敬遠する人もいる。そんな違いを知り、独自の考えで日本人、十勝っ子の舌に合うような料理を考え提供しているのだ。ブラックペッパーソースなど、色々と取り入れている。料理人はフレンチ、イタリアン、中華、和食、なんでもできないと!という思いもあるそうだ。仏太は以前札幌のRyu-goowでいただいたフュージョン料理を思い出した。(08年7月2日のブログ参照。)最近のフレンチでは中華のエスニックな感じと和食の盛りつけなどを取り入れているところもあるそうだ。Tex-Mex(アメリカ料理とメキシコ料理のミックス)などもあり、融合したり、いいところを取り入れる姿勢は世界的潮流なのだろう。

外観2
看板  帯広に帰ってきてからは、今の場所で最初は和食、中華の居酒屋をやっていた。平成12年12月に潮華として出発。だから潮華として、今年で10周年だ。名前の由来は釣りの釣果からきている。店名がなかなか決まらないでいたのだが、釣り好きのご両親が、釣りの成果を現す言葉「釣果」が発音的に中華料理っぽいんじゃないかとご提案。また、当時は海釣りに行って、釣った魚をお店で提供していた。小さい頃に食の影響を受けたお父さんがここでも大活躍だったのだ。  平成14年12月、ちょうど2年経った潮華に事件が起こる。低温着火による火災で全焼してしまった。火災保険に入ってなかったのがいたかったが、大家さんがいい人でほとんど土地代で売ってくれた。他の場所を探したが、気に入った場所がなく移転はしなかった。この間ランチョエルパソで働いていた。その時のエルパソ料理長は調理師学校の先輩。そして、平成16年10月にリニューアルオープン。ニューヨークでイタリアン&チャイニーズのレストランがあり、とてもリーズナブルだった。メニューが分かれていて、融合というわけではなかった。それをヒントに中華とタイ料理の二刀流でいく決心を固めた。同時にやるのは容易ではない。仕込みが違うし、材料が違うことも多々ある。お客さんの要望で「今日のメニュー」というのもやっていたから尚更だ。

タイスキ
 ニラ祭をすることがある。幕別産のものを取り扱っている。年々知られて増えている。今年4回目だった。(残念ながら今年は終わってしまった。来年に期待!)今年はメディアも取り上げた。FM WINGの取材があった。マスターのブログにも載っている。(マスターのブログの10年3月25日の項参照。)幕別のニラは実は根を越冬させて春に収穫するということを初めてやったものなのだ。甘みが違う。生産の北海道一位は函館なのだが、実は「初」というのは幕別。(生産の日本一は高知県。餃子で有名な栃木県は第2位)函館に教えたのが幕別なんだそうだ。タイスキに入れたりするととても美味しい。

 生春巻きは、以前はその場で作っていた。その方が美味いから。しかし、一売り切れでしょんぼりされた御客様が多かったので、必ず召し上がれる予約制にした。ベトナム風の作り方で美味い。タイスキのタレは、最初はタイ風ソースを使っていたが甘ったるかった。タイ料理のエッセンスを取り入れたオリジナルソースを作った。評判がかなり上がった。また、麻婆豆腐も自慢。


麻婆豆腐  スペアリブ
スペアリブは香港の広東料理シェフがやっていた。レシピを教えてもらい実際に作ってもらえた。最初メニューをしぼっていたが、だんだん幅を拡げすぎて、自分で自分の首を絞めていると楽しそうに笑う。それでも今やりたいことがあるから、最近もメニューはしぼっている。元気炒飯というのも美味しいと評判だった。フォーは最初始めたきっかけが面白い。食関係の大物の方がベトナムに行き、帰ってきて料理教室をするときに手伝ってくれと言われた。その場に行ったら自分でやることになり、フォーや生春巻きをなんとか作った。マスターは謙遜するがきっと素晴らしいものだったに違いない。その時の経験が今回出されているフォーに活かされている。その時のメニューはフォーボー(牛出汁のフォー)にチキンを載せるというものだった。一般的にはフォーガー(鶏出汁のフォー)が多いそうで、牛を使ったのもその時にいいと思い、牛とろを使うことを思いついたそうだ。
牛とろフォー

 それだけ色々なメニューがあるのに、帯広中華で有名なものがないことに気付いた。中華ちらしだ。やる予定はないのか聞いてみたら、食べたことも見たこともないと。ムースーローに似ていると聞いたくらいだと。ムースーローは中国では家庭的なものだから、一度見て食べたらできるんじゃないかとおっしゃる早坂マスター。中華料理系のところは基本的に顔をお互いに知ってるので行きにくいかな?(笑)そう思っていたら、次にマスターにお会いしたときに「行って食べてきた」と報告を受けた。凄い!行動派!!!

グリーンカレー1 グリーンカレー2

 マンネリ化しないように、そして、常に新しいものを取り入れられるように、日々努力、研究を続けている香港は一度修業の意味も含めて、5日間ほど食べ歩きツアーに行ってきたことがある。そして、それらを潮華で反映させて、メニューは適宜変えている。お客さんを見て、飽きているな、と感じた時にも変えている。中華とタイ料理、どちらもやっていると、それぞれ希望の人がいるし、どちらかに決めたがる人もいる。上手く意見を取り入れつつ、なるべくご希望に添えるように努力しているのだ。凄いなあ。

グリーンカレーパスタ1 グリーンカレーパスタ2 グリーンカレーパスタ3
グリーンカレー1 グリーンカレー2
 というわけで、仏太はわがままをいうわけではないのだが、カレーはどうなのかちょっと聞いてみた。(笑)レッドカレー、イエローカレーは予約があれば、状況により出すことが可能だと。また、以前、火事になる前に、中華のカレーあんかけご飯にタイカレー(イエロー)をフュージョンしたものを気まぐれメニューで出していたことがあるそうだ。他にも、今までに出したものの中に、カレー南蛮のうどんをタイカレーをフュージョンしてつけ麺にしたもの、グリーンカレーチャーハン、渡り蟹のイエローカレースープパスタ、イカの唐揚げにデップソースとしてイエローカレーのあんかけにしてレモンを絞ったものなどが挙げられる。やば、ヨダレ出てきた。どれも美味そう!!!
カウソイ1 カウソイ2

ビール1   紹興酒
 飲み物も豊富で、その中でも中華といえば紹興酒という人もいるくらいだが、それも自慢。紹興酒は瓶はオリがあるが、甕は違う。しかし、その汲むところで味が違う。開けてすぐの上の15杯くらいが、香りもよく、さっぱりして美味しい。常連さんはそれを知っているから、甕を開けるときはいつだ?と聞いてくると。ワインのような上澄みだけを5リットル中4.5リットルくらい飲んでもらう。
紹興酒1  紹興酒2
ザラメを入れるのは台湾人が考え出したらしい。仏太は日本人だと思っていたがどうやら、台湾人が考えて日本に持ち込んだようだ。台湾の人が作った紹興酒は、おそらく現在では「紹興酒」と名前をつけれないのだと思う(理由は拙ブログ09年2月18日をご参照下さい。)が、中国本土から台湾に移った、現在の台湾人の先祖が作った老酒は味が今一でザラメなどを入れないと飲みにくかったようだ。しかし、潮華でいただく紹興酒は、とてもそんなことはしなくて大丈夫。というより、そのまま飲んだ方が味を楽しめるし、全然引っかからずすーっと入ってしまうくらい透き通った味だ。これはかなり酔っぱらうよ。やばい!(笑)
ビール2  ビール3
 お店にはワインも置いている。マスターはワイン好きでそれは香港に行ったときに影響を受けたと。そして、ワインは中華に結構合うことがわかったと。スペアリブなど肉系は赤、中華料理はロゼ、タイ料理は白がお勧めだという。

美咲ちゃん  このように仕事熱心な早坂マスターは、どちらかというと晩婚だった。現在では、可愛く元気な奥さんが結婚以来お店を手伝ってくれてる。お子さんがが生まれるときや、生まれた後お子さんの体調が悪いときはお休みなのはしょうがないが、現在も元気な姿をお店で見ることができる。そして、自慢の可愛いお子さんは、素敵なコック姿で写真に写り、額に飾ってあるので、お店でそれを見ることができる。このインタビューがネットに出る頃、1才になっているだろう。










今後の目標
誰もやったことのないことをやり遂げたい。
 まだ他人には言えない新しいことを今やっていてそれを完成させたい。(他人に言えないので、仏太も教えてもらえなかった。)小麦粉を使う料理をやっている。気まぐれでやっている。今日はあるけど次はない、みたいな。誰もやってないので楽しみであり苦しみ。それをメインのものにするのかどうか、ランチの形を変えることになる。ベトナム料理、和食、洋食が合うだろう。1個のものを使って、和洋中ベトナムイタリアンなどに組み合わせる。1個のスタイルにするにはどうするか?色々まだ問題点があり、いつになるのかわからない。ものを作る段階で試行錯誤の状態だ。麺はその日打った方が美味い、というヒントだけいただいた。そして、仏太的に気になるところは当然カレー!(笑)
「新しくやろうとしている事にカレーを考えていて苦戦しています。最初は導入を見送るかもしれません。」
と優しい口調で教えてくださった。後になっても構わないから、カレーがあるのは嬉しいことだ。その新しいことにはカレーも合うってことだ!素晴らしい!(笑)
 今後も早坂マスターの探求心は尽きることがないのだろう。益々期待の潮華だ!


 その後、10年8月に「十勝帯広麺」という店名で、潮華の場所そのままで、十勝帯広麺という新たな麺を提供する店を始めた。基本冷たいもので、しかしカレーとして温かいものもある。マスターが長年温めていた企画が実現してスタートした。
仏太のカレー修行ブログ版2010年8月22日参照。
 非常に残念なことなのだが、11年6月頃、マスターが体調を崩してしまい、十勝帯広麺は継続していくことが困難となってしまった。体調が万全となるか、後継者が現れることで再開となる可能性もあるが、現段階ではよくわからない。個人的には、素敵な後継者が見つかることを願っている。(追記)





参考サイト・ブログ
辻学園日本調理師学校
横浜中華街
重慶飯店
重慶飯店(横浜中華街のサイトから)
目黒雅叙園
龍門(以前の耀来酒家のところ)に関するサイト
ランチョエルパソ
FM WING





修行場データ
潮華
帯広市西10条南9丁目12-2
0155-27-0031
http://taisukii.blog32.fc2.com/
12:00-14:00, 17:30-23:00 (LO22:30)
月曜定休
修行場・十勝「潮華」参照。)

現在、昼間は「十勝帯広麺」という名前の麺屋さんとして営業中。(10年10月追記)





10周年記念企画トップ
09年7月WAMUW・根本隆志シェフ
09年8月Shambhara天竺・中山一郎マスター
09年9月Easy Diner・立石貴裕店長
09年10月ふじや・加藤美華オーナー
09年11月インデアン音更店・遠藤和恵さん
09年12月タイランド・相澤和正オーナー
10年1月ろそろそ・野左掛兄弟
10年2月SAMA帯広店・河村哲裕オーナー
10年3月そん徳・小内勝敏マスター
10年4月カトマンドゥ・奈良一彦マスター
10年5月ピア21しほろ・式見貴光シェフ
10年6月潮華・早坂信美マスター
11年2月ナマステー・木幡夫妻
11年12月カレーリーフ・相馬鎮徹オーナー

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修行場へとぶ 仏太のカレー修行・北海道での記録。修行場はたくさんあるけど、好みのところを探してみてね。(まだ編集中。じかんかかる・・・)データの値段は、特に最近(08年5月)上がってる可能性が高い。(主に)仏太が行ったときのものを記載してるので注意。
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