乙華麗様です!〜サイト10周年記念企画

二人のタイランド


09年12月タイランド・相澤和正オーナー


相澤和正オーナープロフィール
外観 相澤和正(あいざわ かずまさ)
45才男性
・役職 オーナー
・血液型 O型
・出身 上士幌町



プーケットビール



 アジアの国の一つであるタイは、外国に侵略されたことのない王国だ。Thailandと実際はタイだけでなくタイランドまでがフルネームなのだろう。(正式名称や地元での呼び名は知らないし、調べてない。)
 帯広の自由ヶ丘にタイランドがある。これは国ではなく、その名前をつけたタイ料理屋だ。ドアを開けて入ると、明るく元気なマスター(オーナー)が笑顔で迎えてくれる。そう、タイランドではアルバイトを雇ったことがないので、必ずマスター自ら迎えてくださる。(オーナーであり、マスターなのだが、いつも仏太はマスターと呼んでいるので、ここでの表記もそうさせていただく。)一人でホールは大変だろう。しかし、笑顔で、そんなに混む店ではありませんから、と。言葉遣いや格好、身のこなし、特に仏太が吃驚したことはおしぼりの渡し方(トングのようなもので渡す)、それらのことを考えてホテルで修業したのかと思ったが、全く経験がないと。中学高校の時に旅館でアルバイトをしたことはあるがホテルはないと。今まで色々なバイトをしたが、掃除、ボイラーマン、地下鉄の穴掘りをして働いたこともあるし、弁当配達をしたこともある。丁寧なしゃべりで通る声。面白い話で人を惹きつける。色々な普通の人がしていない経験をしているから、人間性が深まり、面白い話がどんどん出てくるのだろう。
外観  中

 奥さんがタイ人と間違われることがよくあるが、実際は日本人。見た目ということではなく、美味しいタイ料理を作るからだ。出会ったのもタイではなく、日本。恐らく奥さんはタイに行ったことがない。(しっかり聞かなかった。)千葉にいるときに結婚して、タイ人コックにタイ料理を習ったそうだ。マスターは帯広にタイランドを出したのが、00年4月16日なのだが、その前は千葉で10年間タイ料理屋を経営していた。その時は、コックにタイ人を雇い作ってもらっていたそうだ。その時に、奥さんが習ったという。帯広に来てからは従業員も雇わず、料理は全て奥さんが行いマスターは料理はせず完全にホールを担当している。自分では料理はしない、と胸を張る。また、家庭ではタイ料理を食べないとのことで、流石にそこまで好きではないようだ。(笑)
 そんなわけで、タイランド御夫婦お二人だけでこぢんまりとやっているのだ。まさに、二人のタイランドなのだ。チャ○と石川○子ではない。

ガイヤーン 牛肉のサラダ
 マスターの経歴は、ちょっと羨ましく思えるときがある。ちょっと、というのは、人によってはそうではないだろうからなのだが。(笑)生まれは士幌、育ちは上士幌、現在芽室在住で、帯広勤め。というと、生粋の十勝っ子という話になるが、間をはしょったのでそうなってしまう。一度働いた後に大学に入り、それは東京だった。元々高校(帯広)に通っていたときは音楽一色の生活を送っていた。まだ士幌線があったときで、汽車通していた。トロンボーンでクラシックをやっていたそうだ。今の蝶ネクタイがなんとなく似合う気がするのはそういうところもあるのかもしれない。芸大の受験を希望したが進路指導の先生に無理だと言われた。それで、別の東京の大学に入った。文学部で、音楽志向の相澤マスターには夢と希望がなかった。
調味料セット1  調味料セット2
 そんな時タイでオーケストラをしないかという話が来て、ちょっと下見にと思ったら、長く居着いてしまったと。そのまま自然消滅的に大学も辞めた。というか、流れたというか・・・。(笑)聴講生ではビザが下りないことがわかり、日本料理店の板前をやっていた。ふりをしていた。(笑)名目だけで実際は働いてなかった。なるほどそんな裏技があるんだな。(笑)所属したオーケストラはバンコクシンフォニーオーケストラというところ。毎週のようにコンサートがあり、そこに3年間所属していたと。オーケストラの一員としてヨーロッパに演奏旅行に行ったりもしている。聴講生として通ったところはチュラロンコン大学といい、日本の東大みたいなところで芸術学部音楽科だった。タイは王国で、その周辺の国々の中で唯一独立を守り通している国家だ。チュラロンコンというのは5代目の国王の名前で、その国王は外国語(特に英語)に精通して、危機にさらされたタイの独立を守り通したとして、タイ人で知らない人がいないくらいの有名な国王だ。そんな有名人の名前がついた大学に通いながら、首都の大きなオーケストラにいたのだから、きっと腕前は素晴らしいに違いない。今度機会があったら聞いてみたいものだ。が、トロンボーンは母校の三条高校に貸している。ほとんど寄付したも同然。楽器も飾られているより使われた方がいいでしょう、と。
青菜炒め
 建材の貿易をしていたこともある。(本当に色々やっているんだなあ。)大理石やチーク材などを扱っていた。87年バブル全盛の時、タイの怪しげなお店で知り合った大手住宅企業の日本人のおっさん(とマスターは言っていた。笑)と色々と話をした。その人は休暇で来ていたのだが、自分の仕事に関係することを調べて、その下見を兼ねていたのだった。ネオン街に連れて行ってもらい、その詳細を聞いた。翌日から、その人が調べてきたところに案内して、そういう業者のところで色々と通訳をした。休暇で来ていたおっさんはすぐに帰国してしまったので、後日また来た時に会って話を聞いた。話が更に進んでいて、おっさんから、法人を起こして輸出業者になれと。何もわからなかったが、前金で振り込まれて、人に聞いて色々とやった。コンテナをタイから自分で送って、日本で自分で受け取る。すなわち、タイの港で木材や石を輸出して、飛行機で日本に行き、横浜港で荷物を受け取る、ということをしていたのだ。日本国内での輸送は流石に大手流通会社にお願いした。最初自分でやってみたのだが、経費が無茶苦茶かかることがわかった。いい勉強になった。そんなことを毎週のようにして、タイと日本を行き来していた。バブルがはじける頃、出会って3年後に、おっさんも私腹を肥やしていて社員を4人ほど引き抜いて独立。おっさんがいなくなって大手企業とは取引がなくなった。しかし、おっさんが立てた会社の方に仕入れたので、収入は変わらず入り続けた。が、おっさんの建てた会社は短期間で潰れた。それで、この怪しげな貿易会社はなくなったのだ。それでも貿易商はトータル5年強やっていた。そんな時期に千葉にタイ料理屋を出した。忙しいが楽しかった。学んだことは貧乏人は金を持っちゃ行けないってこと。しこたま儲けさせてもらったが、金遣いが荒くなり、バカのように使った。オーケストラをトルコから呼んだこともあるくらいだ。(凄え!!!)最終的には儲けたお金は全部なくなったそうだ。(笑)
 ちょっと経歴おさらい。(笑)
高校卒業。18才。
就職。1年間だけ。
大学に入った。1年通学。
タイに行った。
オーケストラ3年。
建材貿易5年。
千葉でタイ料理屋10年。
帯広でタイランド。来年(10年4月)10周年。
18+1+1+3+5+10+10=48才・・・あれ?年が合わない。なんでだろう?なんとタイにいたときに、オーケストラに所属しながら、週末は演奏して、平日は貿易をしていたそうだ。また、後半は、貿易して日本に帰ることがしょっちゅうだったので、その間に千葉にタイ料理店をオープンさせて、両立。ということで、掛け持ちして忙しい時を過ごしていたそうだ。しかし、忙しいというよりは楽しいと思っていたそうで、マスターのバイタリティーを考えるとなるほどと納得した。

 謙遜しているがタイ語はぺらぺら。何度かタイに行ってるが空港に降りた途端に記憶がよみがえりしゃべることができる。例えば、どんな言葉があるか聞いてみたところ、マイベンライという言葉が出てきた。マイベンライというタイ語はDon't mindという意味でタイ人は気軽によく使う。きっとスワヒリ語のハクナマタタと一緒のような感じだろう。ハクナマタタ=No problemと習ったが、まあ、いいさ、的な意味なのではないかと思った。有名な言葉では、ケセラセラかな。(笑)
トムヤムクン  タイ料理の名前は覚えたら楽だそうだ。トムヤムクン(左の写真)のクンはエビでそこがタレー(海)に変わると魚介類のスープになるそうだ。ソムタムというパパイヤの千切りのようなサラダは、ソムが柑橘系のものの意味でこれがパパイヤを表し、タムは叩く音「タムタム」を意味するそうだ。ちなみにこのソムタムのパパイヤは青パパイヤでフルーツとしての甘い柔らかいものとは違う。そういえば、徳之島でいただいたパパイヤの漬け物(自家製)がやたら美味しかったなあ。ソムタムに蟹が混ざるとソムタムプーという。もうおわかりと思うが、プーは蟹を意味する。発音は難しく、ボインが16もあるから日本人には習得しにくいようだ。文法は英語とほぼ一緒だそうだ。野菜はパック、炒めるはパットで、炒め野菜はパックパットなのだが、タイ人の発音は速いからパッパッに聞こえる。それを聞き分けるだけで3年かかったという。それでも聞き分けられるのだから凄い。ピッキーヌはゆっくり発音するとプリッキーヌ。プリッは唐辛子、キーはうんち、ヌはねずみという意味で、ねずみのうんちみたいな唐辛子という直訳になる。それはおそらく形からそういう名前がついたのだろう。そのあたりから脱線して、キーマオ=キー(者、人)マオ(飲む)=酔っぱらい、とか、キータルン=キー(者、人)タルン(すけべ)=スケベ野郎、スケベでどうしようもない人、などと話がどんどん脱線?して面白い方向へ。下ネタ系だとバナナはクーワイ、ちんちんはクワイだそうで、発音と形?が似ている。(笑)(発音表記はカタカナでしているが実際のタイ語に近い発音として書いている。)ちょっと真面目な話、仏太の得意な方面に話を戻そう。ガパオという炒めご飯の混ぜご飯がある。(上手く説明できないが、美味しいので是非食べてみて!)そのガパオはもともとバイグラパオという葉っぱのこと。タイ人が発音するとガパオに聞こえるという。英語で、チェックイットアウトがチェキラって聞こえるのと同じようなものかな。(笑)タイランドのメニューにはタイ語をローマ字表記したものも併記されているので、それを見て楽しむこともできそうだ。
ガパオガパオ

 2011年正月明けにタイに行く予定があると、とても嬉しそうに話すマスターの姿は無邪気な子供のようだ。毎年風景が変わるタイが楽しみな様子。数年ぶりで行くと凄く変わっている、と目を輝かせる。

ナシゴレンナシゴレン
 地下鉄もあるバンコクは大都市だ。マスターはそのバンコクにいたので、現在タイランドにたくさんあるメニューは基本「バンコクの食堂の料理」を出している。日本でもその地方地方で色々な料理があるようにタイもそれぞれの地方で独特なものがあるという。特にバンコクの食堂の料理をメインにしているという。タイも周辺や東南アジア諸国の国々の料理を取り入れているところがあったり、名前が共通なのに他国とは違うものだったりすることもある。基本タイ料理というくくりで出しているのだ。ナシゴレンは本来インドネシア系のものだが、焼きめしのことで、タイランドのものは南インドのインド人がタイでインド人街を形成して、そこで出されたもので、キュウリ、レモンなどがついてチリソースが入っている。
ラクサ2ラクサ
ラクサも本来はインドネシア、マレーシア、シンガポールのもので、エビスープのことらしい。タイランドでは、カレーエビラーメンという形になり、美味しくなっている。
ヤムウンセンヤムウンセン
(実際の東南アジアのラクサは食したことないのでどんな感じかはわからないが。)ダントツの一番人気は(タイランドで最も注文が多いのは)ヤムウンセン(春雨サラダ)だ。非常に「タイくさい」ので、タイ料理オーケーかどうかの踏み絵的存在だという。(笑)メニューの中に、バンコクの食堂の料理、という信念を曲げて、修行者(お客さん)のご要望で、付け加えたものがある。それは生春巻きで、本来ベトナムのものだ。
生春巻き

グリーンチキンカレー グリーンカレーとレッドカレー  タイのカレーは、色々な色があり、有名なのはグリーンレッドイエローあたり。ココナッツがふんだんに使われており、そういう辺りが苦手が好きかの分かれ目になることもある。タイ人はカレーというよりはスープだと思っている。南部のドロッとしたカレーもあり、それはイスラム圏の影響を受けている。オレンジカレーやパープルカレーというのもあり、それらはほとんどアメリカ人が名付けた。なんだかグロテスク。(笑)タイランドでは、グリーンカレーとレッドカレーが食せる。
 ポークカレーをお願いしたときに「本格的に作っちゃおうかな」と、ちょっと意地悪そう(?笑)な笑いを見せていた。バリエーションは色々あるようで、組み合わせなども決まったものがあるわけではないから、メニューにあるものをベースに好みを言ったら、アレンジしてくれることもある。ナンプラーニンニク唐辛子があれば、タイ料理になると、料理をしないはずのマスターが豪語していたのだから。(笑)実際、タイランドでは調理には塩は一切使ってなくて、ナンプラーが味を決めていると。

タイスキ1  タイスキ具材
 豊富な食の知識はタイで会得したものばかり。また、千葉でタイ料理店を開くに当たって、タイスキはタレが決め手だと思ったマスターはバンコクで美味しいと思ったレストランのタイスキを参考にした。しかし、どう考えても、どう食してもその味の秘密がわからず、遂にシェフ本人に聞いたそうだ。オーナーではなかったせいか、握らせたらすぐにげろったという。(笑)なので、タイランドの美味しいタイスキのタレは現地のレシピなのだ。また、どの料理も千葉のタイ料理屋のレシピそのままで、それはそこで雇っていたタイ人コックの料理だから、本格的な味なのだ。

伝票  伝票はナンバリングされてメニューが表記されている。ほとんど言葉では書かれず、番号(数字)の羅列だ。実際にメニューにも番号が載っている。ほとんどは千葉で使っていた時と同じナンバーで、千葉の時はタイ人相手だったので、ナンバーでやるのが手っ取り早かったそうだ。そして、それは現在、一人でホールをするのに、忙しさを軽減するのに役立っている。なるほどなあ。時々抜けているナンバーがあったり、メニューでは順番通りでなかったりするのは、いつも同じではなく、止めるメニューがあったり、新たに始めるメニューがあったりするからだ。そう、何もかもがいつも同じではない。以前のメニューにはナマズ雷魚もあった。が、ほとんどでないので、止めてしまった。下手物に少し興味のある仏太はちょっと残念だが、じゃ、あったら食べるのか、と言われたら、それも自信ない。(笑)

 料理だけでなく、飲み物もタイのものを置いている。メロンソーダはネタにはなるがあまり人気はないと。(笑)ソフトドリンクだけでなく、アルコールもある。タイでは屋台でもレストランでもビールに氷を入れるのが普通なんだそうだ。しかし、タイランドではそんなことしてないからご安心を。(笑)シンハーチャーンという昔からあるタイのビールもタイランドには置いてあり、どれも飲みやすい。面白いのは、プーケットビール。名前通りプーケット島で作られているそうだが、まだ、10年くらいと歴史が浅い。プーケットのラベルに描かれている鳥はプーケット島にしかいない、オオサイチョウという鳥。流石、そういうこともよく知っているマスター。博識だ。
タイのファンタメロン  ビール  ビール

 博識マスターにちょっと吃驚することを教えてもらった。タイには正月が3回もあるそうだ。太陽暦の日本と同じような正月。アジア諸国でかなり盛大に行われる旧暦(太陰暦)の正月。タイでも盛大に行われるそうだ。そして、もう一つはタイの真上に太陽が来るという4月13日だ。これは水かけ祭とも言われ、誰彼構わず水を掛け合いお祝いをするという変わった風習だ。仏太は中国に旅行したとき雲南省の特にタイの国境に近いところに行ったことがあり、そういう水掛の現場に遭遇した。そして、いきなりやられて吃驚したが、楽しんで子供のように水を掛け合ってきたのを覚えている。懐かしい。
 色々なことを気さくに話してくださるマスターに、オフレコのことは書きませんと言ったのだが、隠し事はないからなんでも書いていいよ、と返事が返ってきた。以前にも取材を受けたことがあるが、そのときも似たような話になり、料理のことより、マスターのタイでの生活のことを深く聞かれたそうだ。その記事を見せてもらったが、実際は料理のことの方が多く書かれていた。(笑)それは2008年(平成20年)1月30日の道新おふたいむに載った時のことだった。(現在おふたいむはなくなっている。)おふたいむに載ると凄く混むと聞くが、タイランドは凄く混んだわけではないそうだ。しかし、それを見て、全道に散らばっていた友達が正月休みで帰省したときなどに寄ってくれてありがたかったと。十勝に知り合いが多く、飲食関係はあまり知らないと言いながら、上士幌三千里(焼き肉・中華)のマスターShambhara天竺マスター乙華麗様です!第2回中山一郎マスター(09年8月)参照。)、芽室の桃酔(中華)のマスターなど知り合いが多く、顔が広い。仏太との共通の知り合いもかなりいて、花屋(内藤生花店)の社長さん、旅館(さとのや旅館)の女将さん、お寺の住職の跡継ぎだったり、まさに十勝は知り合いの知り合いで埋め尽くされるくらいの勢いだ。
 変なトラブルはなく、お客さんに恵まれている、というのは、マスターの人柄も十分あるのだと思う。トロンボーンで成功するより、接客してタイランドを続けてくださるのが仏太としては嬉しい。きっとタイランドファンはみんなそう思っているに違いない。

 笑顔のマスターと、料理上手の奥さん。マスターが表立って接客して明るい雰囲気を作り、影でそれを支えるがごとく調理に専念する奥さんが作り出す素敵な空間、二人のタイランド


相澤マスター1 最後に、今後の目標をマスターに聞いた。

このままでいたい

 千葉はちょうど10年で閉めた。10年やっていて難しいと感じた。続けることの難しさを実感。この仕事自体は難しい商売と思ったことない。お客さんにチョロチョロ来てもらうだけでいいのだが、それが難しい。低レベルでも安定した経営を目指す。これはビジネスではない、「生業」と思っている。食べていける、というより、食べさせてもらっている。そんな風に理由を語ってくれた。「大したことはないので、話題になりませんよ。」と笑うが、この目標って単純ながら難しいのではないかと思った。
是非、このままでいて欲しい!




参考サイト・ブログ
プーケットビールのサイト
Bravo!Dish(プーケットビールに関する説明が書いてあるブログ、09.4.27参照)
ガパオに関する説明(All about Japan)のキャッシュ
道新(北海道新聞)
Shambhara天竺
さとのや旅館





修行場データ
タイランド
帯広市自由が丘1-2自由が丘ストリートU
0155-41-0678
11:30-14:00, 17:00-22:00 (LO21:30)
火曜定休
修行場・十勝「タイランド」参照。)





10周年記念企画トップ
09年7月WAMUW・根本隆志シェフ
09年8月Shambhara天竺・中山一郎マスター
09年9月Easy Diner・立石貴裕店長
09年10月ふじや・加藤美華オーナー
09年11月インデアン音更店・遠藤和恵さん
09年12月タイランド・相澤和正オーナー
10年1月ろそろそ・野左掛兄弟
10年2月SAMA帯広店・河村哲裕オーナー
10年3月そん徳・小内勝敏マスター
10年4月カトマンドゥ・奈良一彦マスター
10年5月ピア21しほろ・式見貴光シェフ
10年6月潮華・早坂信美マスター
11年2月ナマステー・木幡夫妻
11年12月カレーリーフ・相馬鎮徹オーナー

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