こう暑くてウダウダだと、ついつい考え事をしてしまう。
ちゃうやろ!普通は考えたくもなくなるやろ!
ああ、そうか、間違った。こう暑くてグダグダだと、ついつい考え事をしてしまう。
アホか?ウダウダとグダグダの違いやないやろ!
最近、本当に暑い。
そして、ボーッとしてしまう。
が、そんな時に変なことを考えてしまうことがある。
連想的に色々なことを考えてしまうのだ。
今回は買い物したときに、ラムを買ったときのことを考えていた。
ラムはほとんどが輸入物で、オーストラリアなどがその輸入先だ。
オーストラリアっていうと、オージービーフや先住民族(アボリジニ)、エアーズロックなどが連想される。
オーストラリア・・・イギリス連邦の一つだ。
かつては、囚人の島だったそうだ。
差別用語かな?だとしたら、ごめんなさい。そのつもりは全くない。
そういうのは差別と考えるからそうなるし、
その言葉を使わなくても、それを表現する新しい言葉は出てくる。
するときりがなくなってしまうと思うんだよなあ。
差別用語は、それが差別だという意識が植え付けられるからなるのだと思う。
話を戻すが、イギリスの罪人が流されるところだったと聞いたことがある。
北海道はなんとなくオーストラリアと似ている気がする。
大陸的(オーストラリアは大陸だろうけど。)で、人がいい。
北海道もかつては囚人の島だった。
内地の犯罪者が流され、北海道で道を開墾したり、
鉱山、炭坑を掘っていたと聞く。
そういう意識があるためか、
冬が寒すぎて人が住めないというイメージがあるためか、
内地の人達の北海道に対する気持ちは、はっきり表現しなくても、
ちょっと優越感を持っているときがわかるときがある。
仏太は道産子で、日本の中で一番北海道が好きだから、
さげすまれる(極端ないい方だが)のは好まない。
北海道は素敵なところだ。
しかし、近年イメージが変わってきている部分もある。
観光などで、北海道を好きと言ってくれる人が増えている。
とても嬉しいことだ。
北海道で、犯罪者がこき使われたような話が小説としてあり、
最近それを読んでいた(まだ最後までいってない)から、
尚更影響を受けてそんなことを考えるのかもしれない。
暑いと余計なこと?を考えてしまう。(苦笑)
人は犯罪者であっても人なのだから、
程度はあれども、こき使うというのは考えなければならないだろう。
やはり「人権」というものは存在するのだから。
最も、仏太がそう思っていたからといって、
それが真実かどうかはわからないし、
人、人種、国、地域など違いがあれば考え方も違うだろう。
1989年(平成元年)6月4日に中国北京の天安門広場で悲惨な事件が起こった。
俗に、天安門事件と言われているが、多数の死者が出た。
(調べたところ、天安門事件は二度あり、これは六四天安門事件と正確には言うらしい。
もう一つは1976年4月5日で四五天安門事件と言うそうだ。)
100万人が殺されたという報道もあるが、
中国上層部はそのくらいは少数だというような発言をしたという。
人権無視も甚だしい、虐殺的なものであったらしい。
中国の人口は13億人以上で、100万人はその0.1%以下だ。
確かに、0.1%っていう数字だけを聞くと少ないとか小さいと思ってしまう。
しかし、人口100万人って言ったら、日本で言えば政令指定都市の基準となる数字だ!
少数ならどうでもいいという大雑把?な考えなのだろうか?
もうあれから20年以上が経ち、歴史の中に忘れられている部分もあるだろう。
政治家が忘れさせようとしているところもある。
(こんな発言したら危険人物に指定されてしまうかも・・・。笑)
報道などメディアを操作することで数字の操作もできるし、ニュースの操作もできる。
数字だけを追って、業務成績のことを言う職場の人間もいる。
しかも、しっかり分析されてない。ただ、増えた減ったと言うだけ。
実際の統計的処理をせずにそのまま言ってるだけ。
少数の増えた減ったは統計的には変わりないことが多い。
褒めると言うより、いいところも言う代わりに悪いところをガッツリ言いつける感じ。
やる気をなくしてしまう典型だな。
業績を上げるために、言わなければならないこともあるが、
全然関係ないこともとやかく言ってて、
文句をつけなければ気が済まないのだろうか。
たきつけるように言ったりして、闘争心をかき立てて鼓舞するという方法なのだろうか?
そういうのは難しい年代の可能性あるよなあ。
っていうか、自分もそういうの嫌だな。
人のこと言う前に自分も気をつけなければ。
仕事中の態度が悪いことを指摘された。
当たっていることもあるが、恐らく先入観的なところもある。
いずれにしても、自分に落ち度があるから指摘されるのだと思う。
真摯に受け止めなければならない。
飲んでるときに相手を怒らせたのは、
自分のいい方が悪かったからかもしれない。
が、その相手は結局自分が言いたいことを言い、
それに同調してくれなければ、怒って退席してしまった。
人の話を聞いた上で、怒るならわかるが、
話途中で、まともに聞かず、常に自分の意見を挟んでいた。
会話ではない。
が、それは仏太の態度や言い方で変わる可能性もあるわけだから、
やはり反省は必要だ。
色々な考えが連想されて、食事を作りながら、
また食しながら考えたことをメモに箇条書きに書いて
まとめてみたらこんな風になった。
自分では面白いが、他人から見たらあまり面白くないだろうな。
作ったのは、鮭の炊き込みご飯。前に作ったものを今回は本を見ずに作ってみた。
(10年7月29日の日記参照。)
うん、美味くできた。
ちょっとレパートリーが増えた気になった。(笑)
スープカレーというか、カレースープは
玉ネギとわかめ、そして、半熟ゆで玉子。
ちょっと味が薄く、やはりスープカレーは奥が深いことを知った。
そして、色々と考えていたことはまとまらなかったけど、
考えながらことを進めていくのは大切だし、
反省をすることも非常に大切だと改めて思った。
それは自分がしたこと、言ったこともそうだし、
他人がしたこと、言ったことに関してもそうだ。
カレーをすすりながら、人生を考えるのもまた乙なものだ。
哲学者になった気分・・・・・かも。(笑)
I thought deeply some things about my life, world peace and so on while eating soupcurry.