教育
♪きょういくされた〜ぁい
という歌があり、「教育」と聞くと
頭の中を駆け巡ってしまう。笑
有安杏果 with 在日ファンクの教育という曲だ。
色々な意味で教育ってあると思うし、
言葉を変えると勉強ってことにもなるだろう。
それは学校ですることもそうだけど、
一般の生活や社会の中でもあることだと思う。
本来学校も、生活や仕事の延長や必要性の中からできたものだろう。
今では、モンスターなど本来の教育と路線が違うような話も多々あるが。苦笑
最近、人に会ったり話したりメールして思うのは
自分が教育について考える時期なんだってこと。
昨日、会議&お食事会があった。
4人しかいなかったのだが、2人は同じ職場の先輩後輩。
仏太ともう1人はそれぞれ別の仕事。
その後輩、飲んでいる席でも「勉強させてもらいます」としっかりした姿勢。
実際にそういうのを感じられた。
飲んでふざけて、もしくは冗談でそういう話になることもあるが、
今回の場合はそうではなく本気だということを感じ取れた。
あ、いや、会議!笑
お食事会!笑
以前に友達に頼られて、子供に教えてあげて欲しいと言われたことがある。
仏太は学校の先生でも、塾講師でもない。
人に教えるということは、ある程度の責任を伴う部分も出てくる。
影響を与えるから。
学校の勉強はやらされて、という部分が強く、
学ぶ側が、覚えたいとか役に立てたいという意識が薄い場合がある。
しかし、その意識が高い場合は、色々なことが身につくだろうし、
時に「一を聞いて十を知る」という状態になるだろう。
仏太の体験談で構わないというのだが、
言い方や聞き方では、単なる自慢話になる可能性もあり、
(一応、仏太は進学校にいた)
嫌味になったり、話し方で嫌な人間になるのは嫌だなあと思ったりした。笑
(この言い方が嫌味か?笑)
しかし、実際に会って話をすると、
ああ、学生は素直だなあ、と
自分が思っていたことを逆に恥じたりした。
一生懸命には一生懸命で答えたくなる。
それはすなわち、ももクロが一生懸命パフォーマンスしたり歌ったりしていたら、
それに全力で応えて、ガッツリ応援するってのと同じだ。笑
ただ、どこまでどう話すかというのは、難しい。
自分が知っていることを伝えた場合、
それを相手がどのくらい理解するかってのは個人差が大きい。
現在、職場で後輩を教えながら仕事をする立場にある。
実際は、仏太が教育担当ではないのだが、
関連性があるので、自分の領域の仕事は教えることになる。
やり方は色々あり、学校で習うことと違うことだったり、
社会に出た場合、範囲が広くなるので、覚えることは格段に深くなるだろう。
しかし、専門的な分野でやる場合、それ以外のことを覚える必要がない時もある。
が、関係ないと決めつけることは中々できない。
だから、先輩が教えたり、ヒントを与えたりすると、
後輩が学ぶのには助けになるだろう。
学ぶ側としては、教えられていることに甘えていると、
いつまでたっても自分のものにならないことも多い。
すぐ記録するとか、見て覚えようという努力とか、
学ぶために必要なことって、実は教える方ではなく学ぶ側にあると思う。
だから、教えられて当然とか、教えられるのを待っているのでは、ダメだと思う。
1回じゃ無理なのは当然。
1回でできたら、とても器用だと思ったほうがいいだろう。
ただ、やる気があるかどうかで、そのための準備(予習)をするかどうか、
復習をして次回同じこと、同じようなシチュエーションになった時に
スムーズに迅速に動けるか、考えられるかはとても重要だと思う。
復讐はよくない。
復習が大切だ。
3〜4年目でいい気になってしまう時期があると言われる。
実際に自分もそうだった。
後から考えた時、それから色々と思い出すことが今でもあったりする。
言われても、その時はわからないこともあったが、
時間が経ってくると徐々に色々とわかってきて、
あの時の恥ずかしさと感謝が押し寄せてくる。
勿論、いい気にならず、謙虚な気持ちを常に持ち続けられる人は
常に成長を続けられる人なのだと思う。
そうじゃなくても、反省をすることで軌道修正はできるだろう。
仕事を始めて、教えてもらった言葉の1つに、
See One, Do One, Teach One
というのがある。
OneはThingと同じ意味。
あることを見て、やってみて、教えて、
それで始めて自分のものになるという考え方。
知らないことはまず見る。
その次は実際に自分でやってみる。
そして、それを今度は後輩に教える。
実はこの教えるが難しい。
後輩以上に知ってないとならないし、
後輩の実力によって教え方が変わるからだ。
ただ、色々な後輩を教えていて、
また、自分で色々なことを学ぶに連れて思うことは、
教育って、その人が学ぼうとする気持ちを持たせるってのが大切だな、ってこと。
逆に言うと、覚えようと思う時は学ぼうとする気持ちはとても大切だ。
難しい。
とても堅苦しい話になるが、実はそういう教育・学びの機会は、
生活の場面でも、遊びでも、極論では飲み会でも当てはまると思う。
仕事などに比べると、責任感とかがそれほどなく、
ストレスは少ない状態で、教え教えられるという点では違うが。
夕食を食しながら、教育する時期なんだな、
と考えていたのには、色々理由があるのだが、
その1つは本日の仕事中のことがある。
また、最近の飲み会のこともある。
それから、ラジオ絡みのことも。
更には、考えが広がってカレーのことも。笑
今回はカレーうどんとサラダ。
冒頭に出てきた勉強熱心な後輩(他の職場)が
うどんを茹でておいてと言われて、
2人前と2把を間違えたことがある。
(16年5月24日の日記「単位」参照。)
その話を聞いて笑っていたが、今回自分でもやってしまった。
そんなにひどくないのだが、残りはそんなにないだろう
と思って、茹でたら思いの外、量があったのだ。
それでカレーを別皿に取り分けた。
が、よく考えたらルーカレーなので、
つけ麺的に食す訳にはいかない。
(そうしてもいいのだが)
結局、うどんをなんとか寄せて、
あいたところにカレールーをこじ入れるという作戦に出た。
ゆっくり食せばはみ出ない。
うどんとカレーがいい具合に絡まる。
うどんから、2把事件を思い出し、
教育(学ぶこと)について連想し、
最近の色々な出来事が頭をめぐったのだった。
有意義で、頭をフル回転させたカレーうどんだった。笑
I ate curry udon thinking about an education. An education is very important. Curry udon was good. I was satisfied with curry udon and thinking about an education.
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