幼稚園の時、クロンボ大賞に輝いたことがある。
このクロンボというのは差別用語だと思うが、当時はそういう認識ではなく、
記憶が間違いなければ、そういう言葉だったと思うので、ご了承を。
夏休みが終わった後に、どのくらい焼けたかという比べっこだった。
学生の時に、「あ、黒人だ!」と言われたこともある。
詳細は08年12月1日の日記「黒(シャンバラ天竺)」参照。
学生の時は、屋外の運動系のクラブにいたので、やはり焼けて肌の色が黒かった。
浪人していたとき、予備校に行っていた。
休み時間に事務から呼び出しがかかった。
???なんだろう???
電話が家からかかっているという。
実家から通っていたので、電話って大事か?
別に帰ってからではダメなのか?
電話の向こうは母親だった。
気が動転しているのがよくわかる声だった。
???あ???
話の内容が突拍子もなくてよくわからない。
とりあえず、戻ることにした。
早退して、急いで汽車に乗り込んだ。
本当か?まさかそんなことが・・・?
信じられない、でも、本当だったら・・・
駅から歩き、最後の直線道路。
ずっと向こうには実家の屋根が見える。
なんだ、やはり嘘か?
そういう根拠のない期待が、
ドキドキと緊張した気持ちをよけようとする。
もう10メートルくらいに近づいたときに、壁も見えて、
なんだ、やはり大したことないんじゃ・・・
え?
なんだか窓がない?
窓の周りが黒い?
焦げてる?
うわ、電話の話は本当か???
実家が火事に遭ったのだった。
敷きっぱなしにした布団の下にエロ本を隠していたとか、
ゴミ箱がティッシュの山だとか、
そういった類のことはすぐには出てこなかった。
唖然として何も考えられなくなった。
頭が真っ白・・・
まさにそういう状態だった。
そして、言いようのない怒り。
どこにぶつけていいかわからない怒り。
理由のない怒り。
八つ当たり・・・。
冷静になるまでは数日を要した。
冷静と言っても生活が戻るまではしばらくかかる。
半焼、ということになったのだが、
実際は消火作業で家の中全ての物がダメになった。
写真やアルバムなど思い出は全て形が無くなった。
漫画や勉強道具も自分で持っていたもの以外は無くなった。
不幸中の幸いは、死者怪我人がいなかったこと。
近隣に燃え移らなかったこと。
周りの人達がとても優しかったこと。
その後、家は建て直し。(一軒家だった。)
その間、予備校の近くにいた叔父さんにお世話になった。
仕事が忙しい叔父さんだったので、プチ一人暮らし。
それまで一人暮らし経験がなかったのでちょっと楽しかったりもした。
友達が、噂を聞いて、義援金を寄付してくれた。
近所の人達が使ってない服などをくれた。
とても有り難かった。
現実を受け入れることができるまでに時間はかかったけど、
なってしまったものはしょうがないと
理屈ではずっとわかっていたつもりだったので、
普通に予備校に行き、普通に友達と付き合った。
自爆ギャグを言って笑わせたりもした。
仏太の肌の色が黒いのは、火事で焦げたから、とか・・・。
他人のことだと、あまりにもブラックで言えないけど。
でも、その時に思った。
現実を受け入れても、しょげてばかりだったり、
悲しんでばかりいても、前へ進めない。
気持ちが沈めば、何も上手くいかない。
笑いもとても大切で必要だと思った。
規模は違うし、状況も違う。
だけど、今回の東北地方太平洋沖地震に関して、
思うところは沢山ある。
何かしたいけど、実際は直接役立つことは少ない。
でも、できることはしていく。
誰もが思っていることを、
月並みだけど、少しずつでもやっていくことで
必ず復興すると信じている。
いまだに問題は山積みだ。
日々入るニュースや誤報、時にはデマ。
暗い情報の中に明るい情報もある。
今はどん底と思える現実が目の前にあっても、
きっと明るい未来が拓けるはず。
少しずつ普通の生活に戻る、
普通の精神状態に戻す、
ということも大切だと改めて認識。
職員食堂のカレーは2週間に1回。
いつもと変わらない、端々としたペースで提供される。
うん、美味しいチキンカレー。
被災者の人達にも、この美味しいカレーを分けてあげたいなあ。
カレーはほとんど嫌いな人がいないし、
材料や道具が揃うなら、
現地でカレーを作って、
みんなで食して欲しいな。