話し上手は聞き上手(Jorro)
仏太の第2職業は人と接することが結構ある。
まあ、人と接することがない職業の方が少ないだろうけど。
勿論、それは直接だったり間接だったりの違いはあると思うけど。
そうした時に最近特に思うことがある。
相手がいるってことはコミュニケーションは必要になるってことだ。
コミュ障という言葉があるけど、
本来それって、そうであっては世の中生きていけないかもしれない。
極論だけど、それだけコミュニケーションが大切ってこと。
ただ、自称コミュ障の人は、苦手というだけで、
できないわけではない人が圧倒的だと思う。
どんな病気もそうだけど、医者の診断がある場合を除いて、
自称で言っている人は怪しいかも、と思ってしまう。
だいたい、本当に医者に病気を言われたら、
そう簡単に公にしないことが多いと思うんだよなあ。
まあ、どんな場合も例外や、人と違うってことはあるだろうけどね。
コミュ障はコミュニケーション障害・・・
コミュニケーションが上手くできないってことでしょ。
(違っていたらすみません。)
言葉通り捉えたら、相手と話したり、メールしたりなどが
上手くできないってことだと理解している。
実は、自称でコミュ障を名乗っている人より
字画のない人のほうが手に負えないって思う時がある。
それはコミュ障って言っているのとは、本当は違うのかもしれないけど。笑
で、最近気になる事は、
仏太の態度や喋り方が悪いからなのか、
人の話を聞かない人が多い気がするってこと。
普通に会話していても、
え?人の話を聴いてくれてる?ってことが多々ある。
こちらが説明を始めたら、途中で話をさえぎるように、
ああ、それわかります、と言って、その後自分で話を続けてしまう。
こちらはまだ喋り続けているのにもかかわらず。
相槌的に、わかります、って言うだけならわかる。
が、明らかにこちらが喋っているのに、
喋り終わってないのに、全てわかったような言い方をする。
実際に後から確認すると、話を理解してない場合がほとんど。
電話で話したことを理解してくれたと思っていて、
実際に会った時に、また同じようなことを繰り返してくるので、
電話で話したよね、ってことを言うと、
全く理解してなかったことが発覚したこともある。
当然、直接会って話しても、完全な理解を得ることはできないし、
ひどい時は逆に誤解しているということがわかることもある。苦笑
自分がそういうことをしているのかもしれないが、
それを強く思う分、かなり気をつけている。
それでも同じことをしているかもしれないので、
反面教師として、同じことをしないように心がけている。
会議の時、人が発言しているのに、別の人と話しているお偉いさん。
それを見て、見ぬふりの別のお偉いさん。
また別のお偉いさんは明らかのそれを見て不快感を示している。
が、当のお偉いさんはそういうことに気づいてない。
全然無関心で、自分のアイテムに夢中のお偉いさんもいる。
それぞれ腹が立ったり呆れたりしていたが、
最近はある意味達観できるようになった。
(偉そうな言い方。笑)
結局、仏太はその会議のあり方、存在意義などを理解していないから、
そういうことに対して憤りを感じたり、不満に思っていたりしたのだろう。
いまだに理解してないが、それはそういうものだ、と思うことで
自分が怒っていることが非常に馬鹿馬鹿しくなった。
ただし、会議に出ている人はそれだけではない。
全体のモチベーションの問題などを考えた時はどうなるんだろう?と思うこともある。
そんなことを思うなら、言うべきじゃないのか、という人もいるだろう。
話を聞いてくれるなら、提案もしがいがある。
ここでやはり話を聞くということが問題となる。
喋る人がいれば、聞く人がいるべきだろう。
独り言ならまた別だろうが、話し合うならそれは相手がいるってことだ。
また、仏太はラジオでパーソナリティーをさせてもらっている分、
見えない相手に話すこともある。
でも、目の前にいなくても「相手」に話していることには変わりない。
一方通行の場合もあるが、メッセージをもらって
双方向性のコミュニケーションに変化することもある。
ラジオをやっていて非常に気にしていることに1つに
喋っていることを不特定多数のリスナーさんに理解してもらえる話をするってことだ。
実はこれ結構難しい場合がある。
仏太が知っていて当たり前と思っていることでも、
人によっては全く知らないことだってあるだろうし、
違う捉え方をしていて、誤解が生じる場合だってありうるのだから。
それは普段の話、会話にも言えることだ。
自分が相手に伝えるのは、やはりわかってもらいたいから、
わかりやすく話したいって思っている。
高校生くらいの時に、話の上手な友達がいて、
ああ、あんな風になりたいなあと思って、
憧れて話を真似てみたりした。
でも、しっくりこない。
それはやはり友達のスタイルだったからだ。
高校の友達の話の後も
やっぱり話が上手くなりたいというのは
常々思っていて、
おそらくそういうことは
結構多くの人が思っていることだろうと思う。
で、その後、ある時に聞いた言葉が
非常に印象に残り、
それは現在も仏太の中では
人生訓的なものの1つとなっている。
座右の銘まで言うと言い過ぎだろうけど、
そのくらいのイメージだ。
話し上手は聞き上手
っていう言葉だ。
最近、何人かの人と話していた時に、
話がわかりやすい、と感心された。
ちょっとびっくりしたのだが、
気をつけていることが実を結んできたのかもしれないと
密かに喜んでいた。
ただ、自分ではまだまだ全然という気持ちがあるので、
いい気になっているわけではないし、
まだまだ話し方も修行が必要だと思っている。
ただ、今までこんなに褒められたことがないので、
非常に嬉しい事は確かだ。
あ、いい気になってる?笑
話し上手は聞き上手
というのは、
話をするのを上手な人は、人の話をよく聞く
ってなことだって聞いた。
それは会話をする上で、相手の話を聞いて、
自分の話をすることだと、
最初は単純にそれだけを思っていた。
が、実はもう少し(もっと沢山?)奥が深い。
相手の話を聞いて自分で話す場合、
相手の話をしっかり理解しないとならない。
また、今度自分が話す時に、相手の話と噛み合ってないとならない。
まあ、義務ではないのだが、原則キャッチボールのようなやりとりがあるわけだから、
話をするのと聞くのは表裏一体ってことだろう。
話をする時に相手にわかってもらうよう心がけることは
相手の話をしっかり聞いて理解することで生まれる気がする。
相手の反応を見たり聞いたりすることで、
自分が話すことも理解してもらえたかどうかを
伺いながら話をするようになるし、
それが、わかりやすい話、話し上手につながるのかな、と。
まあ、まだまだ修行が必要だが、以前よりはわかってきた。
しかし、相手は自分の話の3割も理解していたらいい方だ
という話もあり、やはり話し上手への道は険しいんだろうな、と思う。笑
仏太が駄目なところは、相手が話を聞いてくれない、
こちらの話を遮って話をしたがるのが多い、
そんな人達が苦手なため、
そういう時は、聞き上手になっている自信がないということ。
とにかく自分のことを喋りたい人、
こちらの話の途中で全部を理解した気になっている人、
途中で聞く耳を持たず会話が成り立たない人、
などなど色々な人がいる。
難しいものだ。
だから、会話・コミュニケーションも修行が必要な仏太だ。
こちらの言うことに、おそらく腹を立てているのだろう、
途中で怒り出したり、大声になったり、話し方が変わったり、
威圧的だったり、全然聞く耳を持たずになったり、
時にそういう人もいる。
会話にならない、って例の1つだろう。
そういう時は、一緒になって興奮してしまうのは良くない。
が、かーっと頭に血が上ってしまうこともある。
以前よりはそのあたりは冷静になれるようになってきた。
それは相手に合わせて、一緒にテンションを上げてしまったら、
そのうち喧嘩になるからだ。
自分の主張を通すことも大切だが、押せ押せだけではなく、
ワンクッション置くことも大切なことだ。
こちらが大声を出したり、威圧的な態度・話し方となれば、
相手も不快感を示し、同様の言い方をしたり、
話を聞かなくなってしまう可能性がある。
仏太も目上の人にそういう言い方をされたら、
きっと話は聞くけど、素直にはなれないと思う。
自分の落ち度がほとんどであれば、謝って心を入れ替えるが、
やはり言い方によっては印象が全然違う。
褒めるときは人前で、注意するときはその人だけに
人を伸ばす時の話し方みたいなので、そんなのを読んだことがある。
そこまでしてもらう必要はないが、
威圧的な言い方をされると、萎縮してしまうので、
それどころではなくなってしまう。
言われていることも理解できなくなる可能性だってあるし、
反抗的な気持ちが芽生えて、わかってるけど言うこと聞きたくないよ、
みたくなる可能性もあるだろう。
ただ、褒められるのは、悪い気はしないし、嬉しい。
怒られる、注意されるは言い方によってはかなりのショックを受ける。
言い方によっては、しっかり反省して今後に活かそうと思う。
それは誰しも同じじゃないだろうか。
だから、怒り方ってのもあるなあ、とつくづく思う。
仏太はそのあたり、目下・部下などに上手くできないので、
どうもムッとしていたり、怖いってイメージのようだ。
まだまだ修行中。笑
ただ、話し合うときは、しっかり相手の話も聞いた上で、
こちらの言いたいことを伝える。
理解ある人は会話になる。
しかし、そうじゃない人もいる。
ただ、年齢が上がっている分、
なかなか思ってもできてない、
反省したことをまた同じようにしてしまうってこともあり、
後悔してしまうことも少なくない。
反面教師を見ていても、だ。笑
だらだらと書いてしまったが、
結構この考えは、思い出すことが多い。
前にブログに書いたよなあと思っていたら、偶然見つけた。笑
(14年6月3日の日記「何故か似たような感じはデジャブ?(SANSARA)」参照。)
そんな考え事をしながら、
リフレッシュしようとJorroへ行った。
なんとなく考え事をするのにいい感じの外観。笑
カメラの関係でこんな感じになってしまった。
中に入ったらしっかり明るかった。
赤カレーの豚角煮を辛さ20倍でいただいた。
これは以前のシャンバラ天竺の時から継承したスープカレー。
豚角煮はホロッとして簡単に分けられる。
そして、旨味が凝縮されている。
野菜もたっぷりで色とりどり。
とても満足な美味しさ。
そして、ターメリックライスは丸麦入り。
丸麦は最近どうなっているんだろう?笑
今回はライス小にしてもらった。
オリジナルパンを選択することもできる。
コーヒーは浅モカにした。
知り合いが一番美味しいと言っていたのを思い出したのだ。
そう、その人の話をしっかり聞いていたので思い出すことができた。笑
話をするために聞くっていう姿勢、大切だ。
美味しいスープカレーを食しながら、
味わい深いコーヒーを呑みながら、
改めて、話し上手は聞き上手を噛み締めた。
I went to Jorro in Otofuke to eat dinner and think about canvasation and comunication. I ate pork red soupcurry and after then drank a cup of coffee. Both were so good. And I thought so much about it. Good to speak, good to listen.
Jorro
音更町木野新町1-11
0155-30-6617
11:00-19:00LO
水曜、第2火曜定休
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