幸せ探し〜もう一つの目標
今年の目標が一つ加わることとなった。
が、おそらく覚えてられなくなる。
なので、取り敢えずブログにメモ。笑
今年の目標は
笑顔
感謝
謙虚
前に書いたブログを確認する。
(21年1月9日の日記「掃除〜目標」参照。)
良かった、合っていた。笑
もう一つ加えると言っても
漢字2文字じゃないので、なんとなく見た目の問題で、
ちょっと別にしておく。笑
幸せ探し
が、今年4つ目の目標だ。
今でも自分は幸せだと思っているが、
それでも、辛いことや苦しいことはあり、
そういった時の考え方として身につけたいことの一つだ。
それで実践していきたいと思い、
目標に掲げることにした。
実際に今までもやっていたことはあるが、
できてないことも多々あり、
それならば目標として、
半ば義務化することで、それをくせにしようと思う。笑
そのきっかけは本日のランチだった。
五目うどんを職員食堂でいただいたのだが、
他にアジフライとバナナもあった。
Facebookにも載せたのだが、
このアジフライが幸せ探しの第一歩。
ハート型に見えたのだ。
それで、今まで全然気にしたことがなかったけど、
ハート型と考えると、なんとなく癒やされると言うか。
(え?私、疲れてる?笑)
そこになんとなく幸せな気分を味わった。
味なアジだ。
極論すると、こんな発言をさせてもらえるのも幸せだ。笑
そういう気持ちで、再び五目うどんを見る。
うどんの出汁が好きな味だった。
ああ、そうか。
五目というだけで豪華な気がするが、
いつもと似たような具があると
慣れのためか豪華には感じてなかった。
しかし、揚げ玉を散らす(それは意図的ではなくなんとなくやった)ことで
なんとなく豪華に見えるように思えてきた。
小さなことだし、そう思わない人もいるかもしれないが、
自分としては、これなんだか幸せだなと思った。
そして、この写真を整理していたら、番号4567と続き数字だった。
ゾロ目もいいが、続き数字も面白く、幸せを感じる。
BGMはTOKACHI OBLIGARE BORDERLESSの幸せの風の中でで。
仏太の幸せと言えば、一番はやはりカレーかな。
可愛い女の子、ラジオ、ももクロなどなど色々あるが。
味覚がよいこと、新型コロナにかかってないことなど、まだまだ幸せはいっぱい。
そういえば、新型コロナ感染での、
味覚異常のパーセンテージは人種差があるのだろうか。
ふと思った。
それは、差別的な考えではなく、学術的に。
まあ、差別と思った人はいないだろうが、
でも、人種差だったり、地域差はありうるので念の為。
それは同じ日本の中でも。
むしろ、差別は存在する。
ない世界が一番良いと思うが、実際は日本でも世界でもある。
平等をうたうアメリカはもっと酷いように見える。
ただ、どの国もどの人達も、良い人もいればそうじゃない人も存在する。
本来良いも悪いもその人の問題だったりするが、
地域的なものを全面に押し出してまとめてしまう傾向にある。
「多くは」というのが正しいが、「全部が」的な伝え方、捉え方の可能性がある。
幸せ探しとして、恋愛などがよく取り沙汰される。
それはやはり人生の大きな目標目的の一つだからだろう。
種の保存という意味では子孫繁栄のためには恋愛が必要だ。
その中に、人生の大きなイベント結婚というものもある。
結婚する前、する時は幸せの絶頂と言われるが、絶頂ならくだりもある。
初期はハッピーでも時間が経つと変わる。
良いこととそうじゃないことのバランスで、
その人に対する好き嫌い、
自分(他人)の幸せ不幸せの状態が決まると思っている。
男としては料理してもらえるなど幸せなことは多々ある。
勿論、料理してもらえること以外にも色々とある。
と、こういう話をすると、性差別と言い出す人もいる。
しかし、男女差というのは必ずあると思っている。
別に男が料理しても構わないし、女性だけが料理しろと言っているわけではない。
家庭の中で分担した時に、たまたまそうなっているだけ。
こういうことに、やたらと目くじら立てる人の中には、
言葉尻を捕まえて、その本質的な意味を考えてない、わかってないというのがありうる。
完全な平等というのは何かを考えなければならない。
全く同じにすることが、完全な平等ならば、それはありえないということになる。
個性があり、それが差なので、個人差、男女差などはあって然るべきなのだ。
それを踏まえた上で、お互いを尊重するというのが、
本来の「完全な」平等ではないかと思っている。
最近、あの高校生達も問題提起はしたが、かなり批判にさらされて、
署名も思ったよりは集まらなかったみたいだ。
言葉狩りと判断されてもしょうがないという部分もあるだろう。
しかし、どちらも結局は話をしてみないとわからないこともある。
なので、それが(どちらも)悪いとは言いにくい。
が、どっちが正しいということも言えない。
ハラスメントだったり、LGBTなどの話も
結局は「話が不足」しているために出てきている話も結構あるだろうと思っている。
言葉の問題ではなく、その本質のところなのだと思う。
うちの上司は話を聞いてくれない。
本来何かあった時、向こうとこちらの話を聞いた上で判断するべきだと思っている。
が、こちらの話は殆ど聞かず、向こうの話だけで、
物事を進められてしまっていることが何度かあった。
あ、これも全員ではなく、一部なのだが。
が、それは自分にも非はあると思っている。
手遅れかもしれないが(人は思い込むとその考えを覆すのは難しい)、
でも、自分を良い方向に変える努力は大切。
なので、取り敢えず、自分を変えられることは変える。
今までの自分だったら、そこまで考えられなかったと思う。
そういう自分を発見できたのもハッピーだなと思う。
幸せ探しを本気で始めることにして、色々と見つけられている。
しかし、それだけではないのが人生。
人間万事塞翁が馬という言葉を思い出す。
ある人のことも思い出した。
結構なネガティブ思考で、
ポジティブに考えるとか色々できない。
アドバイスも受け入れられない。
まあ、それを良い方向に捉えれば、自分の信念を貫いている、と言うことができるだろう
結果何を言いたいかというと、
物事は捉え方次第で、良くも悪くもなるということ。
当たり前のように聞こえるかもしれないが、
実際にそうやって考えていることは実は少ない気がする。
だから、方向性を考えて、物事を捉えてみるのもやってみるべきだ。
(21年1月16日の日記「牡蠣と合う味(カレーリーフ)」参照。)
また、一つの物事も、完全な白黒がつくわけではない場合もある。
黒の中に白があったり、白の中に黒がある場合もある。
牛だってパンダだってそうだろう。(おいおい)
だから、大変なこと、苦労、苦しさなど良くない(悪い)ことの中にも
一筋の光だったり、未来に向けた改善することだったりもありうるだろう。
それも今回考えた幸せの一つだ。
そして、そういう幸せは既にそこにあるけれども、
気づいてないことが多い。
また、幸せと不幸せを比べてしまって、不幸せが勝っていることもあるだろう。
だから、今年はカレー以外にも幸せを探してみようと思った次第だ。
いや、今までもカレー以外でも幸せがあるのは知っていたし、見つけていたが、
敢えて意図的に目標とすることで、
それを義務化→普通→当たり前としていきたいと思った。
夕食にも幾つかの幸せを見つけた。
弟がくれたししゃもが美味しい。
笑顔でいただきますの肉じゃがカレー。
感謝して食す肉じゃがカレーには
後から納豆を合わせたりした。
ルーカレーのような、とろみのあるスープカレーのような。
ライスと別々に交互に、スープカレー風に食した。
ライス(玄米)に、添え物としてにんにくを。
このにんにく、冷蔵庫の中から発掘したものだ。
取り出してきたのではない。
発掘してきたものなのだ。笑
食感、味共に問題なし。
良かった、良かった。笑
にんにく自体はカレーと合うのはわかるが、
こうして丸まんまを一緒に食すというのも醍醐味だなあ。
謙虚にごちそうさまの肉じゃがカレーだった。
I start finding small happiness with or without curry. There are much happiness around me. It’s real. I found a heart on a fish fly of lunch. Its shape was a heart. For dinner I ate Niku Jaga Curry, too. It was made by my wife. Very thanks to her. The curry was so good. I am happy.
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